変人・五代目尾上菊五郎

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去年こういうツイートをしてみたら、結構多くの人からリツイートといいね、をして頂きました。

 

明治頃までの日本の人の話を色々調べると、奇人変人ばっかりだよ。「行き過ぎた個人主義」どころの話じゃない。 日本会議界隈の語る「日本人」のイメージって、どっから来たの?

 

このときわたしの頭のなかで明治の変人筆頭に挙がっていたのが、五代目尾上菊五郎です。五代目菊五郎は、幕末から明治にかけて活躍した人気歌舞伎俳優で、九代目市川團十郎と共に、近代歌舞伎の基礎を築いた名優とされています。未だに梨園で市川團十郎家(成田屋)と尾上菊五郎家(音羽屋)が大きな勢力を保っているのは、この二人の功績によるものです。

「白浪五人男」であるとか「弁天小僧」といった呼び名は、歌舞伎観たことがない人も聞いたことくらいあるんじゃないかと思うけど、これは「青砥稿花紅彩画」(あおとのぞうしはなのにしきえ)という人気演目で、五代目菊五郎を主人公「弁天小僧菊之助」として宛書きした作品です。

この演目の一番の見所は、若い女性に化けた弁天小僧が大店でゆすりたかりを画策して男と見破られる、という場面で、美少年が娘さんに化ける、という倒錯美が大衆受けをしたのだけど、この演目が出来たきっかけが、両国橋の上で女物の着物を着た美青年(菊五郎)を、劇作家が見かけ、その姿を錦絵に描いてもらい、ついには芝居にもなった、という、まるで、少女マンガだかタカラヅカだかの一場面のような伝説もあるようです。

2.

九代目團十郎も堅物だけど進歩的なところもあって、娘たちには結婚相手として歌舞伎俳優を要求しなかった(でも、結果的に、銀行員だった娘婿が「市川三升」という中継ぎ的歌舞伎俳優にならざるを得なかったのは運命の皮肉)、という個性的な人なんだけど、それでもやっぱり五代目菊五郎のことを変人だと思ってしまうのは

・戊辰戦争のとき、現地取材に上野の山に弟子と一緒に出かけたら、門を閉められて山から出られなくなりそうになった(新政府軍の兵士に人足と間違えられて畳を運び出すように云われたので、九死に一生を得た)
・知り合いの家がぼやになると、ここぞとばかりに火消しの扮装をして駆けつけた(菊五郎は火消しの扮装をしている自分が大好き)
・スタッフの一人の家に幽霊が出ると聞いたので、「今度出たらばどういうなりだか、よく見覚えて来てくれ」と頼み込み、そのまんまの幽霊の姿を舞台に登場させた(「東海道四谷怪談」の小仏小平の幽霊)。
・ 「風船乗評判高楼」(ふうせんのりうわさのたかどの)を始めとする、数々のキワモノ新作歌舞伎

といったところかなあ。

 

※矢内賢二著 「明治キワモノ歌舞伎 空飛ぶ五代目菊五郎」より。

 

でも、実際のところ、こうやって書き出してみると、変人とも思えるエピソードの数々も、凝り性だった菊五郎の性格を良く表すエピソード、例えば左官屋の役を演じるために左官屋に習いに行き、魚屋の役を演じるために魚屋に弟子入りし、イギリス人の風船乗りスペンサー役を演じるために英語学習にいそしみ、ついには弟子たちをして「五代目の宗五郎は、魚の匂いがしましたよ。」と言わしめた、といったエピソードの範疇に入っているような気がして、むしろ菊五郎が天才として自由闊達に生きてきたことの証左なんじゃないか、という気もしないでもない。

こんな菊五郎ですが、驚異の身体能力に裏付けされた観客を大いに楽しませる能力と、江戸っ子らしく短気なんだけど実はちょっと小心者、っていう愛嬌のあるキャラクターがファンに大変愛されていたようで、大概のことは「音羽屋らしいや」で皆に許されていたっぽい。

3.

若手歌舞伎俳優に稽古を付けているヴェテラン歌舞伎俳優に、インタヴュアーが「いかがですか?」と訊ねている。そのヴェテラン歌舞伎俳優は「うーん。お行儀が良すぎるんやなあ。」と答えた。確かに観客の目から見ても、美しくて上手いがアンドロイドのようでどこか情感に欠けがちであることは認めるし、そのヴェテラン俳優は芸事に厳しいことで有名で、若手を褒めることは滅多にないのだけど、ちょっとその若手俳優が気の毒な気がした。

だって、梨園のように上下関係が厳しい場所で、いくら御曹司に生まれたからといって、少しでも出過ぎた真似をすれば叩かれ、プライヴェートな問題でも運悪く発覚しようものなら今度はマスコミ始め世間様に全力で叩かれる、で済めばよいが、下手をしたら叩き潰されかねない窮屈な世の中に、彼は生まれついたのである。だから、ずーっと優等生でやってきたのだ。

ところが俳優というのは難しい仕事で、どこか普段の生活態度っていうものが芝居からも透けて見えてしまう。女好きの人はなんだか悪い色気が出るし、アホっぽい人はやはり何やってもアホっぽく見えてしまうし、酒好きの人の演じる酒乱の役を観てると、もちろん芝居であることは充分承知の上なんだけど「本当は呑んでるんじゃないか?」とつい疑ってしまう。優等生は所詮優等生で、自分の欲望を抑えきれなくて、うっかり重大犯罪に手を染めてしまう、やさぐれた若者はやっぱり似合わない。「だったらもっと遊ばないとね~」みたいな訳知り顔のミソジニーオッサンの意見に従うことは、「女は芸のこやし」みたいな、あさっての方向に行ってしまい、妻や相手の女性を悲しませるだけでなく、将来の梨園をしょって立つ子も傷つけ、そういう行為に及んだ当の本人にものすごいマイナスパワーとなって返ってくることになるので、お勧めはしません。だけど、とにかく人間は誰にだって欠点というものがあるというのは異論のないところだろうに、そういう欠点だらけの人間に対し、極端に不寛容な世の中というものは、若い人の才能を潰してしまう。寛容さのかけらすらもなく、規律を守る従順さを要求したのに、それを忠実に守った若者を「お行儀が良すぎる」と論評するのは酷である。こんなことではスターは世に出ない。芸能界は、今やどの分野でもそうなりつつある。

4.

日本の人口の50%は、今や50代以上だそうで、こんなに年寄りが多くて頭が重い社会の出現は未曾有の事態である。しかも、その社会には、未だに目上の男の人に目下の者が物申すこと、特に女の人や若い人がそれをすることは失礼であるという、社会にとっては有害無益でしかない不文律が厳然と屹立している。

チェルノブイリ原発事故のとき、子どもたちの避難を強硬に主張したのも女の人たちだし、旧ソ連が隠蔽しまくったデータを、ソ連崩壊のどさくさに紛れて持ち出したのも、女の人たちだったという。

実は、こういう「ちいさき者たち」の声を聴かないっていうことは、実の生る前の果樹の幼木を今すぐ役に立たないからと伐採することにも等しくて、その後には貧しい荒れた荒野しか残らない。ちいさき者たちの声を聴かない老人が暴君として君臨し続ける社会のその行き着く先は、破滅しかないのは、今まさに、わたしたちが目の当たりにしているとおりである。

火消しの扮装が好きで好きでたまらないなら、別に、火消しの扮装を見せびらかしに知り合いの家に押しかけて迷惑がられても良いじゃないか。相手役の美形女形と腕を組んで銀座を歩いて噂になったっていいし、年寄りからはキワモノ、新しいことに手を出すのはもっと芸を磨いてからとそしられようが、西洋物やマンガネタをどんどん新作歌舞伎にしたい、ってヒヨッコみたいな若手が意見を云ったって良いじゃないか。芝居に時事ネタを入れ事して、観客を爆笑させつつも余りに長すぎるんで、さすがにちょっとうんざりさせたって良いじゃないか。こういう自由闊達を締め付けず、むしろ愛してきたことで、わたしたちの先祖は、社会や文化をいきものとして発展させてきたのだけど。

ちいさき者たちに、寛容と自由闊達さを、と切に願わざるを得ません。(もう手遅れかも知れないけど)

(アイキャッチ画像は、スーパー歌舞伎Ⅱ「ワンピース」2幕終了直後の幕間(2017.11)です。)

起承転結

先生は読書感想文を書けという。感想文の書き方は「起承転結」を守ればいいという。「起」で話題を始め、「承」でその話題を承け、「転」で話題を変え、「結」で結論を書けばいいという。

大人は誰だって、子供なんて面倒でうるさいものだと考えているようで、とにかく自分のいうとおりにしろ、と命令しかしない。「私はこう思う」と云おうものなら、「そんなふうに思うのはおかしい」とケチを付け、そういう風に感じるべきではないと云う。ずっとこんな風に接して来られたら、何に対しても特段何の感想も湧かないし、夏休みだからって急に読書感想文が書けるようになる訳じゃない。「起承転結」なんて説明された日には、「結」でオチを必ず付けないといけないじゃないか、とプレッシャーになって、余計に何も書けなくなってしまうのは、私が関西人だから、ではないと思う。

日本で日本の学校教育を受けて育った人であれば、一度や二度は、道徳の授業で作文を自分の思うとおりに書いたら、先生が内容を理解出来なくて悪い点を付けられたんで、仕方がないので「友達は大事だと思います」とか「思いやりをもって接しなくてはならないと思いました」とか、先生のレヴェルまでわざわざ降りてあげて、先生にも理解出来るように書いてあげて、そこそこの点数を付けてもらう、という経験をしたことがあるに違いない。こんなことでは作文が嫌いになるのが普通の感覚だと思う。

わたしもご多分に漏れず、作文なんて書くことが何もないじゃん、の人だったんだけど、「起承転結」なんて意識しないで思いついたことをそのまま書いてみると、これが案外楽しいことに気が付いた。一文の得にもならない文章を、自分のためだけに書くことは、存外に楽しいものである。ではあるんだけど、モノローグはモノローグの域を出ていなくて、とてもじゃないけど「あたたかみのある知性」のある文章、の域には全く達していません。わたしがものを書くのは、ある意味、リハビリのようなものでしかなくて、「ネットでの発信は、へたに自分の正直な気持ちを綴ると炎上する、『役に立つ情報の発信』でないと今は成り立たない」と主張するウェブ記事も見かけたこともあって、ちょっと今ひるんでもいるのだけども、何の役にも立たない、こういう「自分で読みたいものを自分で書く」という、「役に立つ情報の発信」という本来ウ変てこりんなスタイルが暫く続くかも知れません。

(一番最初の投稿がこんなんでいいの!?)

(アイキャッチ画像は、雲仙温泉(2016.11)です)。