ミュージカル「レ・ミゼラブル」考

1.

最近、本棚を漁っていたところ、2003年7月版「月刊ミュージカル」が出て来た。表紙は、2003年7月から9月まで公演が予定されていた、ミュージカル「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャン役にキャスティングされた4人のバルジャン役者が、手を前に差し伸べてがっしりと手を取り合って、互いの健闘を祈り合っている姿である。

バルジャン役者は、伝統的に大男がキャスティングされることになっているため、皆、背が高く舞台映えしてかっこいい。そして若い。当時、年寄り年長者扱いされていた山口祐一郎さんですら、当時46歳である。

私の実質的なミュージカル観劇人生も、ここからスタートした。感無量である。

2.

「レ・ミゼラブル」といえば、初演は1987年で今年で初演から30年、何百公演も観たことがあるファンが大量にいるお化け演目である。「どうして同じ演目を何回も観るのか」、私も言われたことがある。そしてそう考えるのも当然だと思う。しかし、また、何度も観たくなるという事実にも納得する。「好きなアーティストのライブで上演される楽曲は、CDの中に入っていて何度も聞いたことがあるから、ライブには行かない」という人はいないと思う。生の芸術というものはそういうものだ。だからなんでミュージカルや芝居だけそういうことを言われなきゃならんのだ、とちょっと私は不満である。

しかし、あえてこれを考察してみることにしよう。

なぜ、何度も観たくなるのか。それには色々な理由がある。

まず、原作の良さをミュージカルが引き継いでいることが挙げられる。どの主要キャストも、おいしい場面や名曲を持っているいい役ばかりである。個人的には、女性のキャストの描き方が典型的過ぎ、あまり魅力的ではないなと思うけれども、これはミュージカルのせいではなくて、むしろ原作者ヴィクトル・ユーゴーのせい、もっといえばユーゴーのいた時代がそういう時代であったから、だろうと思う。

「レ・ミゼラブル」の登場人物は、ユーゴーが自分の中の色々な面をそれぞれの人物に当てはめて創造したといわれている。

そして、そういう多面性、二面性はミュージカルの中でも意識されていて、例えば、脱獄囚であるバルジャンを執拗に追いかけるジャベールとは、裏と表の関係にある。バルジャンがミリエル神父に救われて改心する場面で歌う「バルジャンの独白」と同じメロディーラインを、ジャベールは「自殺」で歌うことになる。方や、愛によって救われて改心し、方や、愛で一旦は救われたものの、自分の中にある厳格な法との矛盾に耐えられず死んでしまう。

この二面性をひとつの楽曲の中で表現する、という巧みさに唸らされれると共に、二人の登場人物の辿ったその後に思いを寄せると、なんだかぞっとしてしまう。

3.

次に、「レ・ミゼラブル」は、たった3時間(休憩が30分入るから実質2時間半)の中に、あの大作のエッセンスを詰め込んであるが、それがメロディに載ることで、仮に、初見時はめまぐるしいと思っても、リピート時にはだんだんそれが気持ち良くなってくる、という現象が起こる。

大体、このミュージカルをリピートしようと思った時点で、もう原作には当たっている頃だろうが、プロローグの音楽が鳴ると同時に、ミュージカルには入りきらなかったエピソードが勝手に脳内補完し始め、幾らでも物語の世界に感情移入ができてしまう。

リピートすると、ミュージカルの細かい演出設定にも目が届き始め、その意味にだんだん気が付くようになってくる。こうなると殆どマニアである。

日本版で特有な事情として、東宝は、人気役者を一つの役にダブル、トリプル、しまいには最初に述べたように4人(クワトロ)で割り当てるようになっていた。その場合は、やはりそれぞれのキャスト毎の特徴や、他の役者との相性までが気になってくる。一度観たら、次に別の人とはどうだったかな…などと考え始めると、また観て確認したくなってくるのである。組み合わせは、ほぼ無限に近い。とてもじゃないけど、幾らお金を掛けたとしても、満足できるまで観るなんてできるもんじゃない。こうやって、どんどん東宝の罠にはまってリピーターと化してくるのである。

初演は、バルジャンとジャベールを、鹿賀丈史さんと滝田栄さんが交互に演じていたらしいが、これは私だって観てみたいと思う。

あとは、もちろん楽曲がどれも素晴らしいのと、あのレンブラントの絵のようだと言われた、ほの暗い舞台の照明を生かした演出とセット、特に、舞台上手と下手から登場し、様々な形が合体することで、パリの貧民街や学生達の立てこもったバリケードを表現する、旧演出のセットは素晴らしかった。

4.

2003年以降、一時期「レ・ミゼラブル」のリピーター化し、各公演の感想までメモしていた私だが、旧演出が新演出に変わって、あのバリケードのセットがなくなり、代わりにCGを多用したペラペラの演出に変更になったのに失望してしまい、新演出以降の「レ・ミゼラブル」は一度しか観ていない。2013年以降、2003年のキャストが一掃されてしまったことも大きい。感想のメモは、当時使っていたパソコンがクラッシュしたときにデータが飛んでしまった。

映画版はそこそこの物には仕上がってはいると思うけれども、あの舞台版を最初に観たときの感動とはほど遠い。この頃は、何事につけても、もう新しいコンテンツが作れず、これまであるものを薄めて高く売りつけるというビジネスモデルにちょっとうんざりしている。

だけども、あの頃の「レ・ミゼラブル」が私の心の中で星(Stars)の如く燦然と輝いていることには変わりがない。

“Stars”というのは、ジャベールが「レ・ミゼラブル」の中で歌う、ソロの名曲のタイトルでもあります。

 

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