2017.11台湾・その2(朝ごはんについて)(2017年11月23日~2017年11月26日)

台湾も、中華文化圏の一員なので、ご多分に漏れず外食文化が発達している。なので、朝ごはんにホテルのコンチネンタルブレックファストなんてもったいない!ということになります。

日本ではあまり見かけないような朝ご飯もある。例えばこれ。「飯糰」という、もち米のおにぎり状ロールである。具は色々入っていたが、玉子と、あと肉髭という、甘い肉のでんぶのようなものが入っていて、ちょっとこれは苦手であった(画像は前回2017年5月のもの)。でも、お米はとてもおいしい。

あとは、やっぱり朝から小籠包とか食べるんですかね。観光客だけかな?(画像は朝ごはんじゃない)

でも、やっぱり一押しはこれ。「阜杭豆漿」の鹹豆漿。甘くなくて温かい、豆乳と豆腐の間のような食感である。ラー油は、個人の好みでかけるようになっている。私も家で作ってみたけど、酢に熱々の豆乳を入れると、半固形に固まるのである。

そして、厚餅夾蛋。

焼きたてのあつあつ。厚焼き玉子と葱が挟んである、窯で焼いた中国風のパンである。

「阜杭豆漿」は超有名店で、観光客も来るし地元の人にも大人気で、いつも大行列なんだけど、それでも前回に引き続きリピートしてしまった…。

だって、こうやって炭火で焼きたてが出てくるんです。

これですもの。油條も揚げたてできっとおいしいに違いない。

でも、やっぱり一生忘れられなくなりそうな朝ごはんはこちら。

こちらは「港式」、つまり香港風の麺とエビワンタンである。台湾の麺って、あまりコシのない太めの麺だったりするのだけど、こちらは香港風に固い麺。

同席(歩道に出したテーブルに固い椅子)の台湾人のおじさんと、「どこから来たの?」、「日本」。「仕事か?」、「いや観光」。そしたら、おじさんが日本の話をし始めて、「歌舞伎」というので「歌舞伎町ね」と教えたら、「カラオケで『北国の春』を歌うんだ」とかなんとか(以上、中国語と英語と日本語でごっちゃまぜの会話)。そのうち、おじさんは帰っちゃったんだけど、帰ろうとしたらお勘定がもう済んでいた!びっくり。

私もいつか、見知らぬ異国の旅人をねぎらって、さらっと庶民ごはんをごちそうしてあげたりできる日がくるんだろうか…。

にしても、こうやって挙げていくと、やっぱり中華料理って生野菜を使わないので、気を付けないと、炭水化物 on 炭水化物になりがちである。件のエビワンタンも、飲み物を持って行くのを忘れて、途中で胸につかえそうになった。もちろん、飲食店でも日本のように水は当然には出てこないので。ペットボトル持ち込み必須。

 

2017.11台湾・その1(2017年11月23日~2017年11月26日)

「またかの台湾」ですが、23日の祝日+1日+土日で台湾に行ってきました。本来だったら温泉でも行っているところですが、もう日本の宿泊施設に泊まりたくない。日本の温泉自体は、とてもいい所が色々あるのでしょうけど。

ということで飛び立つ。

台北松山空港は、着陸直前に多くの民家の上をすれすれに飛んでいくので、すごく怖い。

ひえええええ。
本当はもっと着陸直前に人家に接近するのだけど、これ以上写真はなし。この日は天気が悪くてすごく飛行機がぐらぐらして撮りにくいし、なにより怖い。
怖がりすぎという話もあるが、台北松山空港近辺では、去年2月には復興航空(トランスアジア航空)旅客機が基隆河に墜落したという事故もあったことから、安全面で住民から懸念が表明されていて、空港は桃園空港に全部移転すべきだとの意見が強い。冗談ではないのだ。

無事着陸。

この天気である。どんより。

到着すると麻薬探知犬が。チェリーちゃんというらしい。動きが速すぎて上手く撮れない。

入国審査を経て、到着口を出たすぐ右の兆豊國際商業銀行の窓口で両替。両替1回につき、30台湾元の手数料が発生するが、両替はレートも悪くない。前回、市中銀行で両替したら、1回あたり100台湾元の手数料が発生して、レートもあまり良くなかった。

次に、到着口斜め左前方の中華電信のSIMを買ってSIMフリースマホにセットすると準備は完了。SIMは3日間(1日目はフリー)、データ通信使い放題、ある程度の通話機能が付いて300台湾元。中華電信の係員(英語が出来る人と、日本語が出来る人がいた)がある程度セットしてくれる。私のスマホはダブルSIMなので、日本のSIMを入れたままセットが出来た。もちろん、日本のSIMの方のサービスは切っておく。

夕方の到着だったので、宿にチェックインし、MRTで出かけ、軽くショッピングモールのようなところで食事。

夜の街。

世界のヒラサワ的な何か(顔似てない)。

台北のショッピングモールは、かすかに五香粉の匂いが漂っていて表記が中国語なこと以外は、本当に日本と雰囲気が変わらない。年末も近づいてきたので、抽選会みたいなのをやっているのも同じ。日本と違うのは若い人が多くて活気がある。台湾だって少子化で大変だ、と言われているのに!

それにしても、台湾に行くと、男性に威圧的な雰囲気が全然なく、気さくで親切な感じでほっとする。対し、羽田では食事を取った店では、臨席の50代くらいの日本人男性グループ、こちらの席まで荷物がはみ出しているのによけてくれようとしないし、飛行機に乗ったら乗ったで、日本人中年男性が奥さんらしき人を怒鳴りつけているし、本当に気分が悪かった。本当に全然違う。

(次は、旅行のことというか、台湾の外食のことでも書いてみようと思う)。

ミュージカル「レ・ミゼラブル」考

1.

最近、本棚を漁っていたところ、2003年7月版「月刊ミュージカル」が出て来た。表紙は、2003年7月から9月まで公演が予定されていた、ミュージカル「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャン役にキャスティングされた4人のバルジャン役者が、手を前に差し伸べてがっしりと手を取り合って、互いの健闘を祈り合っている姿である。

バルジャン役者は、伝統的に大男がキャスティングされることになっているため、皆、背が高く舞台映えしてかっこいい。そして若い。当時、年寄り年長者扱いされていた山口祐一郎さんですら、当時46歳である。

私の実質的なミュージカル観劇人生も、ここからスタートした。感無量である。

2.

「レ・ミゼラブル」といえば、初演は1987年で今年で初演から30年、何百公演も観たことがあるファンが大量にいるお化け演目である。「どうして同じ演目を何回も観るのか」、私も言われたことがある。そしてそう考えるのも当然だと思う。しかし、また、何度も観たくなるという事実にも納得する。「好きなアーティストのライブで上演される楽曲は、CDの中に入っていて何度も聞いたことがあるから、ライブには行かない」という人はいないと思う。生の芸術というものはそういうものだ。だからなんでミュージカルや芝居だけそういうことを言われなきゃならんのだ、とちょっと私は不満である。

しかし、あえてこれを考察してみることにしよう。

なぜ、何度も観たくなるのか。それには色々な理由がある。

まず、原作の良さをミュージカルが引き継いでいることが挙げられる。どの主要キャストも、おいしい場面や名曲を持っているいい役ばかりである。個人的には、女性のキャストの描き方が典型的過ぎ、あまり魅力的ではないなと思うけれども、これはミュージカルのせいではなくて、むしろ原作者ヴィクトル・ユーゴーのせい、もっといえばユーゴーのいた時代がそういう時代であったから、だろうと思う。

「レ・ミゼラブル」の登場人物は、ユーゴーが自分の中の色々な面をそれぞれの人物に当てはめて創造したといわれている。

そして、そういう多面性、二面性はミュージカルの中でも意識されていて、例えば、脱獄囚であるバルジャンを執拗に追いかけるジャベールとは、裏と表の関係にある。バルジャンがミリエル神父に救われて改心する場面で歌う「バルジャンの独白」と同じメロディーラインを、ジャベールは「自殺」で歌うことになる。方や、愛によって救われて改心し、方や、愛で一旦は救われたものの、自分の中にある厳格な法との矛盾に耐えられず死んでしまう。

この二面性をひとつの楽曲の中で表現する、という巧みさに唸らされれると共に、二人の登場人物の辿ったその後に思いを寄せると、なんだかぞっとしてしまう。

3.

次に、「レ・ミゼラブル」は、たった3時間(休憩が30分入るから実質2時間半)の中に、あの大作のエッセンスを詰め込んであるが、それがメロディに載ることで、仮に、初見時はめまぐるしいと思っても、リピート時にはだんだんそれが気持ち良くなってくる、という現象が起こる。

大体、このミュージカルをリピートしようと思った時点で、もう原作には当たっている頃だろうが、プロローグの音楽が鳴ると同時に、ミュージカルには入りきらなかったエピソードが勝手に脳内補完し始め、幾らでも物語の世界に感情移入ができてしまう。

リピートすると、ミュージカルの細かい演出設定にも目が届き始め、その意味にだんだん気が付くようになってくる。こうなると殆どマニアである。

日本版で特有な事情として、東宝は、人気役者を一つの役にダブル、トリプル、しまいには最初に述べたように4人(クワトロ)で割り当てるようになっていた。その場合は、やはりそれぞれのキャスト毎の特徴や、他の役者との相性までが気になってくる。一度観たら、次に別の人とはどうだったかな…などと考え始めると、また観て確認したくなってくるのである。組み合わせは、ほぼ無限に近い。とてもじゃないけど、幾らお金を掛けたとしても、満足できるまで観るなんてできるもんじゃない。こうやって、どんどん東宝の罠にはまってリピーターと化してくるのである。

初演は、バルジャンとジャベールを、鹿賀丈史さんと滝田栄さんが交互に演じていたらしいが、これは私だって観てみたいと思う。

あとは、もちろん楽曲がどれも素晴らしいのと、あのレンブラントの絵のようだと言われた、ほの暗い舞台の照明を生かした演出とセット、特に、舞台上手と下手から登場し、様々な形が合体することで、パリの貧民街や学生達の立てこもったバリケードを表現する、旧演出のセットは素晴らしかった。

4.

2003年以降、一時期「レ・ミゼラブル」のリピーター化し、各公演の感想までメモしていた私だが、旧演出が新演出に変わって、あのバリケードのセットがなくなり、代わりにCGを多用したペラペラの演出に変更になったのに失望してしまい、新演出以降の「レ・ミゼラブル」は一度しか観ていない。2013年以降、2003年のキャストが一掃されてしまったことも大きい。感想のメモは、当時使っていたパソコンがクラッシュしたときにデータが飛んでしまった。

映画版はそこそこの物には仕上がってはいると思うけれども、あの舞台版を最初に観たときの感動とはほど遠い。この頃は、何事につけても、もう新しいコンテンツが作れず、これまであるものを薄めて高く売りつけるというビジネスモデルにちょっとうんざりしている。

だけども、あの頃の「レ・ミゼラブル」が私の心の中で星(Stars)の如く燦然と輝いていることには変わりがない。

“Stars”というのは、ジャベールが「レ・ミゼラブル」の中で歌う、ソロの名曲のタイトルでもあります。