今回の旅行日程(2018年12月27日から2019年1月4日まで)
12月27日(木) 日本→ハノイ泊
12月28日(金) ハノイ泊
12月29日(土) ハノイ泊
12月30日(日) ハノイ→ホアビン省マイチャウ泊
12月31日(月) ホアビン省マイチャウ→タインホア省プーロン自然保護区→ホアビン省マイチャウ→ハノイ泊
1月1日(火) ハノイ泊
1月2日(水) ハノイ泊
1月3日(木) ハノイ(ノイバイ国際空港近くのトランジットホテル泊) ←イマココ!
1月4日(木) ハノイ→日本
冬のベトナム・ハノイ+α その11(ハノイの街とバインダークア)の続き。
ロンビエン橋の近くまで来ていたので、ロンビエンバスターミナルからバスに乗って博物館を回ろうかと考えました。
店を出て、ロンビエンバスターミナルの南側の交差点、道路の左側から対面に渡ろうと思ったのですが、この交差点、信号はないし、横断歩道などあってなきが如し、というベトナムの都会ではよく見かける交差点です。
もう大量のバイクの集団には大分慣れていて、バイクはそれほど速度を出していないので構わず渡ってしまうのですが(同じ速度で一定方向に歩いているとバイクが人をよけて通っていく)、ここは右折をしてハノイの郊外に出る橋に通じる道路ですので、普通の自動車が多い多い。
ベトナムは右側通行ですので、交差点を道路左側から対面に渡ろうとすると、どんどん左側交差道路から車ばかりが突っ込んできます。
大体こういう場合は何台かやり過ごして切れ目で渡るのですが、ここでは全然車が途切れなくてどうしたもんかと思っていると、私の右側にいつのまにかノンラーに黒い服の腰の曲がったおばあさんがいて、私の方を見て何事かフニャフニャ言ったのに気が付きました。
何かして欲しいのかな?と一瞬頭をよぎったのですが、考える間もなく、おばあさんの姿が消えた!と思ったらおばあさんが素早く私の後ろを通って左側に回り、私の左腕を引っ張って交差点を渡り始めました。つまり、おばあさんは助けて欲しかったのではなくて、助力を申し出ていた訳です。
ありがたくおばあさんと一緒に交差点を渡り、無事、渡り終わったところで、身をかがめておばあさんにお礼を言いましたところ、おばあさんはニコニコしながら満足げな表情。笑った口の中には歯は数本しかありませんでした。ああ、ここでは入れ歯みたいな気の利いたものはないんだろう。
この出来事を、この記事を書くために改めてよく反芻してみたのだけど、あの私の後ろを通って左側に回り込む素早い動き、私の左側に立つ、つまり、私の盾になろうという一瞬の判断、いずれもただ者でないと思われる。
外国のお年寄りの年齢はよく分からないし、特に栄養状態が悪い時代を過ごしてきたと思われるベトナムのお年寄りは、見た目で推測するよりは若いのではないかとも考えたのですが、先日のハノイでの米朝首脳会談の際、ハノイのお年寄り(男性93歳)のTVインタビューを偶々目にしたのですが、そのお年寄りと、このときのおばあさんとで、そんなに年齢では違いがあるようには見えませんでした。
このおばあさんが仮に、もし、90歳前後だとすると、青年期~壮年期にインドシナ戦争とベトナム戦争に遭遇し、戦禍を生き延びててきた訳です。「銃弾をかいくぐってきたんだから、車をかいくぐるなんてどうってことないわよ」ってか。年を取ってもなお、人に助けて貰うのではなく、助けようという心構えと豪胆さ、肝が据わっててすごい。
さて、おばあさんに助けて貰ったから、という訳ではなくて最初から行くことに決めていたのですが、バスに乗って向かったのは
ベトナム女性博物館(Bảo tàng Phụ nữ Việt Nam/Vietnamese Women’s Museum)。
なかなか美しい建物です。
2階が「家庭での女性」、3階は「歴史の中の女性」、4階は「女性のファッション」というテーマで展示されています。
3階の常設展示場ではない場所に展示されていたのがこれ→
このバイクでベトナム各地を回り、生き残っている女性の英雄を訪ねる、というテーマのTV番組が放送されたらしく、その際に訪ねた女性たちの顔写真をTVの映像の回りに展示した、印象的な展示です。
ベトナムでは植民地支配や外国の侵略に抵抗するため、多くの女性たちが銃を持って戦っており、女性の英雄が沢山いるのでした。うーんあのおばあさんも旧ソ連製ロケットランチャーをぶっ放して戦ったのでしょうか?可能性としてはなくはないです。
次は、女性博物館のパンフレットにも載っている展示です。一通り回ってみましたが、これがやっぱり人目を引くのですね。
少数民族の伝統的衣装ですが、近寄ってみると、本当に細工が細かくて綺麗。
少数民族といえば銀細工ですが、このアクセサリー欲しい。
銀が曇ると左側みたいになるんですね。レプリカ売って欲しい。
次の博物館に続く。