今回は週末旅行だったので、まる1日使える日は3月30日(土)だけ。午前中、バスで釜山で行きたかったところの一つ、甘川洞文化村(カムチョンドンムナマウル)に行ってきました。
釜山の歴史や文化を語る上で、抜きにしては語れないのが朝鮮戦争と避難民で、戦中、釜山には北からの避難民が殺到しました。1947年には47万人ほどだった釜山の人口は、戦後の1955年には倍以上に膨れ上がったとのことです。
釜山を舞台にした韓国映画、「国際市場で逢いましょう」の主人公ドクスも、興南撤収作戦で朝鮮半島北部からやってきた避難民であり、離散家族であり失郷民です。靴磨きの少年ドクスに夢を語る、後のヒュンダイ創始者も避難民です。文在寅大統領の両親もそうです。朝鮮戦争と避難民の歴史は、朝鮮半島の近代史にとって抜きにしては語れないといった方がいいかもしれません。そして、釜山はその象徴的な場所といえるのかもしれません。
さて、朝鮮半島北部から避難民が殺到した釜山ですが、「釜山」という地名が示しているように、釜山は山から海に鋭く落ち込む、良港を擁する街に特徴的な地形であることから、平地が少なく、後からやってきた避難民は、家を建てて住むことができる土地を求めて、山の上へ上へと家を建てていったそうです。
そのため、釜山では、山地に沿って山のかなり上の方まで家が建て込んでいる場所が散見されます。そのような古い村を整備して観光地にして、現在、最も成功しているのがここ甘川洞文化村です。
数々のドラマやTV番組の撮影場所にもなっていて、2018年に韓国でヒットしたドラマ、「ライフ・オン・マーズ」のロケ地でもあります。チョン・ギョンホさん扮する主人公ハン・テジュが、1988年にタイムスリップした先で住んでいた場所として撮影されていたのも、甘川洞文化村でした。
チャガルチ市場のそばからバスに乗り、甘川洞文化村に近い場所とおぼしき停留所で降りたのですが、どうも、甘川洞文化村の入口は、もう少し上の方だったらしい。
面白いので、この電話ボックスの手前の路地に入って歩いてみることにします。
電話ボックスの「5G」の文字が誇らしげですね~。ちなみに、IT先進国のイメージの強い韓国ですが、このように、電話ボックスがあちこちに設置されているのを見かけました。携帯電話を利用しないIT弱者にも配慮していることが窺えます。
話が脱線しました。
坂になった路地を登り始めたまではよかったのですが、ほぼ、垂直移動をする羽目に。本当に山というか、崖のような場所に家を建てたんだな…。
古い家並みが残っているのですが、なかには更地になってしまっている場所もありました。確かに、高齢になって足腰が弱ると、こんな断崖絶壁のような土地に住むのはつらいでしょうね。
少し登ると、景色が開けてきました。足はガクガクしますが、爽やかな風に吹かれて、花盛りの向こう側の山と、やはり斜面にへばりつくように建てられた家を眺めます。ほぼ山登りの感覚~。
さらに路地を登り、広めの道路に出ると、甘川洞文化村の歴史を写真つきで説明しているらしきプレートが展示されていました。そろそろ入口近くかな。
一番肝心の説明(避難民が殺到した様子)のプレートの前にバイクが駐車していて、正面からの写真が撮れません。ちょっとちょっとぉー。
この道路に沿ってしばらく歩くと、予想通り、甘川洞文化村の入口に着きました。これがまた、売店と飲食店が道路の両側に建ち並んでいて、普通に観光地なのですね。各国の観光客がバスで乗り付けるような場所。観光客は韓国人がやっぱり多いのだけど、名所巡りのツアー団体客が多いので、中国系の方もすごく多かったですね。あと、ベトナム人と、マレーシア人の団体さんもいました。たまたまだと思いますが、このときは殆ど日本人は見かけませんでした。
飲食店の建ち並ぶ道をそれて、景色を展望できる場所に上がります。
流石に港町って感じの景色です。よい眺め。
山側の眺めはこんな感じ。
鮮やかな色の塗料で、家々が塗り分けられております。まるでオモチャみたい。
次の写真は路地の風景。
この日の朝方は雨が降っていましたが、だんだんお天気が良くなってきました。絶好の観光日和です。
甘川洞「文化」村というだけあって、街のあちこちに壁面や設備を利用したアートがありました。全部は写真を撮っていませんが、風変わりなのがこれ。
星の王子様と一緒に写真が撮れるという訳です。いわゆる「インスタ映えする」ってやつですかね。撮影のために長蛇の列ができていました。
井戸と壁面を利用したアートや、
壁面にタイルで施したアートもあります。
桜がほんと満開でした。
移動しながら撮影していますので、またちょっと違う角度からの写真をば。
青い屋根が映えて綺麗です。
でもやはり印象に残ったのは、何故かそこだけ建物が建たずに農地として残っていた農地の黄色い花と、山の桜の美しさ。
思いがけずお花見をしてしまいました。
順路に沿って一通り見学したので、急坂を階段で降りて帰ります。
上の写真でもキムチの壺がちょっと見えていますが、甘川洞文化村は観光地として整備されているとはいえ、住民が現に住んでいて生活している街です。甘川洞文化村があまりにも観光地化されてしまったために、住民が静かに暮らせなくなっているという事態も生じているそうです。上のキムチの壺も、近寄ってみると「開けないで」と注意書きが書かれていました。また、「住民の生活のために、大声で喋るのは止めてください」という注意書きがあるところもありました。
街が寂れてなくなってしまうよりは、観光資源として活用した方がいいのでしょうが、有名になりすぎるとこういう問題がどうしても発生しますね。
韓国の都市部で「~マウル(村)」と名前が付いているところは、貧しかった1950年代~70年代の町並みが残されており、釜山でも、こういうマウルを第2・第3の甘川洞文化村を目指して観光地として環境整備する動きが出てきているようですが、どこも、観光客と、住民の生活との間に軋轢が生じているようです。
甘川洞文化村を見学するときも、住人が生活している場所だということを忘れずに見学しましょう。
(注)この記事を書くにあたり、釜山の歴史については、主に、鄭 銀淑(チョン・ウンスク)著・港町ほろ酔い散歩 釜山の人情食堂(双葉文庫)の助けを借りています。綿密な取材がされており、沢山の写真(おいしそうな食べ物の写真も多数)ありで、釜山旅行を考えている人にはおすすめの本です。
(おまけ・3月30日の朝食)
この日の朝ごはんの焼き魚韓定食。
これに魚のあら汁とご飯が付きます。釜山で食事すると、どこもこの調子で沢山出てくるので、間食する余裕が全くなかった(泣)。
あまり店の写真は載せないのだけど、珍しく載せてみます。チャガルチ市場の雰囲気が分かるかな~と思って。
右下にヌタウナギの看板とガラスケースの生け簀に入った実物がいますが、今回、ヌタウナギは食べることができず。残念~。