釜山旅行のお供によいかも [書評]釜山の人情食堂 港町、ほろ酔い散歩

釜山の人情食堂 港町、ほろ酔い散歩 鄭銀淑(チョン・ウンスク)=著 双葉文庫

2019年3月~4月の釜山旅行(韓国に行ってきた その1・2019年3月釜山旅行(移動と釜山の街と食い倒れ)他)の際、参考にさせて頂いた本(といっても文庫)を紹介します。

91trqGZuVaL

釜山の街の魅力は、歴史的に、ロシア人や日本人がやってきて、また去り、次は朝鮮北部から避難民がやってくる、という激しい人々の行き交いに従って、様々な文化が混じり合い成り立っているという点にあります。

もう一つは、釜山の街が「映画の街」であることで、釜山国際映画祭(BIFF)の開催される地として、或いは数々の映画の舞台となった地として知られています。

2015年時点で、ここ10年の間に公開された商業映画のうち、釜山を舞台とした映画は400本にもなるそうです。映画ロケ地に採用したくなる釜山の街の魅力ですが、釜山の街は空間に独自性があって、

「日の出を撮りたければ海雲台、アメリカ西海岸のような夕日を撮るなら多大浦というように、海山だけではなく、都市としての景観も多彩です。今風の繁華街もあれば、70年代風の路地裏もある。郊外に出れば田舎らしい風景にも事欠きません。ソウルに負けない前衛的な高層ビル群が絵になるセンタムシティやマリンシティもあります。つまり、どんな映画の撮影にも対応できるということですね」(本書74頁)

ということのようです。

本書では、映画好きの著者が、映画をモチーフにして、このような釜山ならではの街の魅力を紹介していきます。

映画やエンターテインメントを通じてその街を紹介するというのは、とても優れた手法であり、芸能大国・韓国を理解する近道の一つなのではないかと考えます。かくいう私が釜山まで旅行しようと思ったのも、2018年の韓国ドラマ「ライフ・オン・マーズ」の主要ロケ地が釜山だったということも一つの動機になっております。あのドラマも1988年にタイムスリップしてしまう設定でしたが、やはり、ドラマに登場する昔風の路地裏や街並み、店舗が印象的でした。

さて、本書で紹介されている映画の中で最も大きな位置を占めているのが、2014年に公開され大ヒットした韓国映画「国際市場で逢いましょう」です。この作品もそうですが、優れた韓国映画は、典型的な韓国庶民像やその歴史の一つを、生き生きと描いて、人々の共感を呼び起こすことに特徴があります(ゆえに大ヒットする)。

だから、図らずも本書でインタビューに応じた元避難民のおじいさんも、

「『国際市場』は観ましたか?」

と尋ねられて、

「あの映画はオレたちのことを描いているんだ。どんな話なのかは誰よりもわかっているから、わざわざ観ることはないさ」

と答えている訳です。(本書137頁)

映画好きの著者は、カメラ片手に街を歩き、市井の人々に対する綿密な取材を行うことによって、釜山の街は、ただの物理的な街ではなく、その街の人々が生きている、あるいは生きてきた様をそのままに想起させることに成功しています。

本書は、映画を主なモチーフとして、釜山ひいては韓国の近・現代史にまで踏み込み、釜山の魅力を十二分に紹介していますので、韓国の歴史には疎い他国育ち、他国生まれ、他国語話者のような私のような者にとっては、韓国の方には当たり前の韓国の歴史を楽しみながら勉強することができるのです。

あっ、勿論、「国際市場で逢いましょう」も観たことないし本書に出てくる他の映画も全く観たことない!という方も心配いりません。

著者は、映画だけではなく、食べるのも飲むのも好きな人のようなので、本書を読むと、まるで、街歩きを楽しんだ後、美味しそうなお店で美味しい韓国料理をつまみにちょっと焼酎を飲んでいるような美味しい気分になれる、というとってもお得な本なのです(美味しそうな料理の写真や、紹介されているお店の所在地や連絡先も載っています)。

ちなみにワタクシも「国際市場で逢いましょう」は観ましたが、この映画、「あの有名人はあのときはこんなだった!」という感じで、ご当地釜山出身の有名人(の設定の役)がさりげなく出演します。これが韓国の方には大ウケなんでしょうが、私はといえば、不勉強で殆どの「有名人」を知りませんでした…。でも大丈夫。映画もすごくお勧めです。日本人がなかなか知ることのできない、韓国の庶民がどのような歴史を生きてきて、どういう思いでいるのかを垣間見ることができます。

この映画を観た日本人は、東方神起のユノ(ユンホ)さん目当てで観に行った方が多かったみたいですが、皆さん映画に感動して帰ってきたようです。ちなみにユンホさんは主人公の回想シーンに登場する、ベトナム戦争下のベトナムで絶体絶命の危機に陥った主人公ドクスを助ける韓国軍の隊長、実は……の役です。

この本には、ただ観光地を回って買物して料理を楽しむ、という普通の観光旅行に留まらない、韓国(釜山)旅行の大きな楽しみ方が示唆されています。これを読んで釜山に旅行すれば、その旅行が印象深いものになるのは間違いないでしょう!文庫本なので旅行にも楽に持っていけます。

DSC_0259.JPG

写真は私が撮ったチャガルチ市場の魚屋さんでした。

[書評]運命 文在寅自伝

運命 文在寅自伝(日本語版) 文在寅(ムン・ジェイン)=著 矢野百合子=訳 岩波書店

IMG_20181123_135024

最近読んで、最も感銘を受けた本のひとつ。言わずと知れた韓国の第19代大統領文在寅の自伝。感想を書き留めておきたい。

 

本書の冒頭は、悲劇的な盧武鉉元大統領の死から幕が開ける。不謹慎だが、まるで映画かドラマのワンシーンのように劇的で印象的である。

本書を「自伝」という頭で読むと、少し戸惑うかも知れない。盧武鉉大統領とその政権である参与政府の記載だけで、本書の半分とはいわないが、それに近い割合を占めているからである。それもそのはず、本書は2012年12月の大統領選に向けて、文在寅のいわば「出馬宣言」として刊行されたものであり、本書の序文にもあるように、参与政府が「他山の石」となれるよう、参与政府時代の歴史的な証言を残す目的で書かれたものでもある。

それでも、盧武鉉元大統領との出会いから、朝鮮戦争の避難民として興南から朝鮮南部の巨済島に逃げてきた両親のこと。貧しかった幼年時代、成績優秀で慶南中学校に合格して本を読みふけった中学時代、社会意識を育て学生運動に明け暮れた大学時代(奥様とのなれ初めの微笑ましいエピソードもある)。徴兵に強制徴集され、そこでも成績優秀で、配属先の厳しいはずの空挺部隊でもなぜか妙になじんだ軍隊時代。そして、除隊後、人権弁護士の道へ。

読み進めていくと、文在寅大統領がどういう人生を歩んできて、どのような考えを持つ人物なのかが徐々にわかっていく。

小学校時代、家が貧しくて家から弁当を持って行けなかったこと。学校では弁当を持って行けない子供のために給食が出たが、給食で出されるトウモロコシのお粥を食べる器すらなかったので、他の子供から弁当箱の蓋を借りてお粥を食べなければならず、弁当箱の蓋を借りるたびに自尊心が傷ついたこと。(そんな経験もあってか、「最近の無償給食論争の行方には関心をもって見守っている。」とのこと)。

大学時代、言論人出身の李泳禧(リ・ヨンヒ)先生の論文に影響を受け、「知識人の秋霜のごとき厳しさを知り、自分もそうありたいと思った」こと。それは、「真実を最後まで追究し、誰にも否定できない根拠を示して社会に立ち向かうことだった。首に刀をあてられても真実を世に明らかにして、真実を抑圧する欺瞞を暴くことだった。」とも記されている。

弁護士になる前の検事の試補はよい経験であったが、検事は自分の性格には合わないと感じるようになったこと。人を処罰することはつねに負担で、心が落ち着かなかったこと。犯罪行為自体は処罰して然るべきものであっても、いざ事情を調べると気の毒な事情が見えてきてしまうからなのだそうだ。

本人の口から語られるこれらのエピソードは、文在寅大統領が、貧しい人のために役に立ちたいと願い、真実には忠実であろうとし、国家権力の恐ろしさを熟知していてその行使をすることに謙虚さを持つ人物である、ということを示している。

だから、参与政府時代のことも、序文で「駄目だったことは駄目だったと評価され、克服されていけばいい。」と書かれているとおり、何故そのような政策が取られ、何が政策実現の支障だったのか、何がどこまでできて何ができなかったのか、淡々と事実が述べられ、ごくわずかに感想が述べられるという、いかにも弁護士らしい表現で描写されていて、何のてらいも手柄の誇示もない。

これを建前やきれいごとに過ぎると感じる人もいるだろう。しかし、政治が、民衆に理想やきれいごとを語らなくてはどうするのか。語られる理念以上によい社会になることは絶対にない。

そして、さすがに本人も認める読書好きだけあって、文章から溢れんばかりの教養と知性を感じ取ることができる。

本書からは、お隣の国・韓国の大統領の人物や知性、その目指すところを理解し、このような大統領を選ぶ韓国の国民が何を望んでいるのか理解するのに格好の書である。しかも、盧武鉉大統領の参与政府時代について詳細に述べられているので、韓国の現代史に対する理解の一助ともなる本である。

本書の「運命」は、盧武鉉元大統領の遺書から取られたそうだが、本書を読むと、政治家になる気すらなかった文在寅大統領が、不思議な「運命」に引かれて、今、大統領になったように思えて仕方ない。

本書末尾のクォン・ヨンソクさんによる「解説」も、本書の背景事情が分かりやすく書かれているので、そちらも必読である。

 

(2019年7月2日追記)

この記事を公開して今日で1ヶ月ですが、ご承知のとおり、なんと先の6月30日には歴史的な板門店での金正恩・トランプ会談が実現しました。噂にはなっていたものの、実現を目の当たりにしたときには驚きました。

この仲介にはさぞ骨を折ったであろう文在寅大統領、タフ・ネゴシエーターっぷりを見せつけましたね。流石「盧武鉉の影」として盧武鉉大統領時代に青瓦台で豪腕を振るっただけあります。

朝鮮半島の問題もこれで一歩前進したという訳ですが、微力ながら一刻も早い朝鮮半島の平和的な南北統一をお祈りしております。