韓国に行ってきた その4・2019年3月釜山旅行(避難民の群像達)

「平和の少女像」を訪問後、近かったので、四十階段に行ってみることにしました。

道すがら、散策用に整備された小道には、色々な銅像が置かれています。

例えばこれ。

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避難民の姉妹の像です。避難民たちが移り住んだ場所は、水道の整備もなかったのでこうやって水を汲んで高台まで持ち上げたのです。重労働です。この像も、映画「国際市場で逢いましょう」に登場します。

他に、鉄道に乗る家族の像もあったのですが割愛。

次が四十階段。

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朝鮮半島北部からの避難民が離ればなれになった家族・知人と待ち合わせに使ったり、救援物資をもらったりしていた場所で、避難民の悲哀を今に残す場所です。ただ、当時の四十階段は、ここから数十メートル北にあったそうです。映画の撮影などで有名になり、アコーディオンを弾く人の像が設置され、今も観光客の記念撮影ポイントになっています。

四十階段の前には、ポン菓子を焼く人と子供達の像。

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少しくたびれたので、カフェで休憩後、また散歩を続けます。

屋台が建ち並ぶBIFF広場は素通りし、商店街をくぐり抜け、

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向かったのは、

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国際市場の「コップニネ(コップンの店)」。映画「国際市場で逢いましょう」の舞台になった店です。もはや観光地です。映画のポスターが飾ってありますね。この角度より、店の左側から撮影した方がよかったみたいですが。

「国際市場で逢いましょう」の主人公、老人ドクスは、家族や周囲の人たちに呆れられても、頑強に店を売ろうとしません。それには○○な訳があったのです……

って、ここは、映画の物語の肝要な部分ですので、書いちゃうとネタバレになってしまいます。詳しくは映画をご覧下さい。

こうやって見ていくと、韓国の方って、銅像で何かの記念を残すことが好きみたいです。

ちなみに、写真は撮らなかったのですが、甘川洞文化村を降りたところの公園に、

「ただ、猫に餌をやっているおばさんと、それに寄ってくる大量の猫たちというだけの像」

がありました(こちらは由緒正しき銅像じゃなくて、カラフルにペンキが塗られていましたけどね)。ちょっと意味が分かりません。おもしろいからいいけど。

これだけ「○○の像」みたいなものがあると、日本領事館傍の「平和の少女像」も、そこにあることに、特に変な気もしません。つらい目に遭った方のことは、ずっと忘れるべきではないですしね。「平和の少女」訪問記事でも書いたけど、もうずーーーーっとあの場所にあるといいと思うよ。

 

さて、国際市場から、飲食店街アーケードで賑わう富平カントン市場を抜け、路上の屋台街を横目にホテルに戻ります。おいしそうなものが沢山目に付きますが、釜山に着いてからというものの、毎食毎食ボリュームがありすぎて、もうどうやっても夕食まで何か食べようという気になりません。次来たら「屋台食べ歩きレポ」とか、やってみたい。

 

少し休憩した後、買物のためにロッテマート光復店に向かいます。

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右側がチャガルチ市場棟なので、漁船群が係留されております。

ロッテマートに近づいてくると、大きな橋があります。これがヨンドタリ(影島大橋)です。

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橋の向こうがヨンド(影島)で、文在寅大統領が育った場所です。ヨンドにも古い風情ある街が残されており、観光地として整備して、映画やドラマの撮影に使われているそうです。韓国映画「弁護人(ピョノイン)」の撮影場所にもなっております。今回はヨンドに行く時間がなかった。

さて、ヨンドタリ(影島大橋)ですが、実は、これは跳ね橋です。ヨンドタリでは、1966年を最後に跳ね橋が上がることはなかったそうですが、2013年に再建され、現在では1日に1回、跳ね橋が持ち上がるところを目にすることができるそうです。

ヨンドタリの近くにも銅像が。

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避難民の家族の像です。

ヨンドタリも、朝鮮戦争のとき、肉親とはぐれたときのために待ち合わせ場所として使った人が多かったとのことで、やはり避難民を象徴するような場所なのでしょう。

また、避難民の暮らしは貧しく、苦しかったので、苦しさに耐えかねてヨンドタリから身投げする人も多かったそうです。そういう苦しかった生活を忘れないよ、という記念の像。文在寅大統領の自伝にも、子供時代は貧しくて、家から小学校にお弁当も持って行けなかったという記述があります。想像を絶する大変さだったことかと思います。

こうやって、釜山の街は、そこかしこに避難民の姿が垣間見えるのでした。

(注)この記事を書くにあたり、釜山の歴史については、主に、鄭 銀淑(チョン・ウンスク)著・港町ほろ酔い散歩 釜山の人情食堂(双葉文庫)の助けを借りています。綿密な取材がされており、沢山の写真(おいしそうな食べ物の写真も多数)ありで、釜山旅行を考えている人にはおすすめの本です。

 

(おまけ・3月20日の夕食)

夕食は、遠出して1時間ほど地下鉄に乗り、ヘウンデ(海雲台)で、フグを食べてきました。なんでも、釜山と下関はフグの漁場が共通していて、釜山のフグはお値打ちでお勧めなんだとか。

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確かに、日本で食べるより安くておいしかったです。ただし、インスタ映えはしません。西洋人の方や、濃い味付けの好きな若者は、よく、「フグは何の味もしないんですけど…」って言うように思う。

韓国に行ってきた その3・2019年3月釜山旅行(平和の少女像に会いに行く)

釜山に行ったら絶対に行くと決めていた場所がありました。

日本領事館傍の「平和の少女像」です。

言わずと知れた、「慰安婦」と呼ばれる、旧日本軍によって戦時性暴力の被害を被った幾多の女性達の苦しみを記憶するための像です。

 

甘川洞文化村を訪問した後、早めに昼食を取り、地下鉄で日本領事館のある草梁(チョリャン)駅に向かいます。日本領事館の最寄りの地下出口を出ます。

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出てちょっと歩くと、地下からのエレベーター出口の後ろに「平和の少女像」がすぐ見つかります。

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考えていた以上に、こぢんまりした像です。見た瞬間に、いろんな思いが胸を去来し、一言では言い表せません。

女性達が、「慰安婦」として連れて行かれたときは、まだ10代の少女だったので、像は少女の姿をしているんだそうです。

台座の後ろ側に回ってみると、少女がおばあさんになった姿がタイルで施されています。

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白い蝶は、韓国では魂の転生を象徴するようです。元「慰安婦」であった女性達が、日本政府の謝罪を受けられないまま亡くなったことを示しています。

そういえば、「国際市場で逢いましょう」でも、白い蝶が要所要所でモチーフとして出てきます。

像が設置された2016年あたりには、像の周囲は騒然としていたようですが、行ったときは土曜日だったこともあり、遠巻きに警察官が見守っているだけで、誰もおらず、とても静かでした。

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上の写真は、「平和の少女像」の正面あたりから撮りました。黄色い囲いがあるあたりが、日本領事館の正門入り口だと思われます。

反対側はこちら。

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日本の報道では「日本領事館前」と報道されていて、正面出たあたりに少女像がどどーんと置かれているのかと勘違いしそうですが、実際には塀の中間あたり、正確には「日本領事館の横」といった方がいいですね。

それにしても、日本領事館の塀が威圧的です。何かを恐れているのでしょうか?塀の向こうからのぞく桜の花だけが無駄に美しかったです。

もう一度、「平和の少女像」をよく見てみますと、台座のところには桜の花びらが落ちていなくてきれいに掃除され、新鮮な花が手向けられています。毎日、誰かがお参りしているのでしょう。元「慰安婦」を支援する方々の、地道な支援活動が窺えます。

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いわゆる従軍慰安婦の問題について、私としては、彼女たちに対して心底気の毒で心が痛む思い、それ以外に何もありません。大部分の「慰安婦」が、年端もいかない教育程度も低い貧しい出身の女性達であり、嘘の広告に騙されて連れて行かれたのです。そして、それに対する旧日本軍の関与が強く推定されているのですから、なんで日本政府が謝罪しないのか、河野談話程度の内容を官房長官が発表することはごく当たり前でなんで問題になるのか、さっぱり理解ができません。大日本帝国と現代日本国は別の物だし。別の物だと思いたくない人たちが問題にしているんでしょうか。きっとそうなんでしょうね。

「平和の少女像」は、もう、ずーーーっとここに置いておけばいいと思います。昨今の情勢からすれば私がこんなこと言わなくても、そうなりそうですけど。

このことに対する解決には何の力もない、無力な自分に情けなくなりつつ、「平和の少女像」を後にしました。

 

(おまけ・3月30日の昼食)

カンジャンケジャン。ワタリガニの醤油漬けですね。

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初めて食べた。どう見てもソジュのつまみです。短い訪問日程に、無理矢理食べたいものを詰め込んだのでこうなります。

昼間だったし、「平和の少女像」訪問前だったので、お酒は飲まなかったどー。昼から飲むのは一定の節度として(結婚披露宴とか特別なとき以外は)やらないことにしていますー。

韓国に行ってきた その2・2019年3月釜山旅行(甘川洞文化村)

今回は週末旅行だったので、まる1日使える日は3月30日(土)だけ。午前中、バスで釜山で行きたかったところの一つ、甘川洞文化村(カムチョンドンムナマウル)に行ってきました。

 

釜山の歴史や文化を語る上で、抜きにしては語れないのが朝鮮戦争と避難民で、戦中、釜山には北からの避難民が殺到しました。1947年には47万人ほどだった釜山の人口は、戦後の1955年には倍以上に膨れ上がったとのことです。

釜山を舞台にした韓国映画、「国際市場で逢いましょう」の主人公ドクスも、興南撤収作戦で朝鮮半島北部からやってきた避難民であり、離散家族であり失郷民です。靴磨きの少年ドクスに夢を語る、後のヒュンダイ創始者も避難民です。文在寅大統領の両親もそうです。朝鮮戦争と避難民の歴史は、朝鮮半島の近代史にとって抜きにしては語れないといった方がいいかもしれません。そして、釜山はその象徴的な場所といえるのかもしれません。

さて、朝鮮半島北部から避難民が殺到した釜山ですが、「釜山」という地名が示しているように、釜山は山から海に鋭く落ち込む、良港を擁する街に特徴的な地形であることから、平地が少なく、後からやってきた避難民は、家を建てて住むことができる土地を求めて、山の上へ上へと家を建てていったそうです。

そのため、釜山では、山地に沿って山のかなり上の方まで家が建て込んでいる場所が散見されます。そのような古い村を整備して観光地にして、現在、最も成功しているのがここ甘川洞文化村です。

数々のドラマやTV番組の撮影場所にもなっていて、2018年に韓国でヒットしたドラマ、「ライフ・オン・マーズ」のロケ地でもあります。チョン・ギョンホさん扮する主人公ハン・テジュが、1988年にタイムスリップした先で住んでいた場所として撮影されていたのも、甘川洞文化村でした。

 

チャガルチ市場のそばからバスに乗り、甘川洞文化村に近い場所とおぼしき停留所で降りたのですが、どうも、甘川洞文化村の入口は、もう少し上の方だったらしい。

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面白いので、この電話ボックスの手前の路地に入って歩いてみることにします。

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電話ボックスの「5G」の文字が誇らしげですね~。ちなみに、IT先進国のイメージの強い韓国ですが、このように、電話ボックスがあちこちに設置されているのを見かけました。携帯電話を利用しないIT弱者にも配慮していることが窺えます。

話が脱線しました。

坂になった路地を登り始めたまではよかったのですが、ほぼ、垂直移動をする羽目に。本当に山というか、崖のような場所に家を建てたんだな…。

古い家並みが残っているのですが、なかには更地になってしまっている場所もありました。確かに、高齢になって足腰が弱ると、こんな断崖絶壁のような土地に住むのはつらいでしょうね。

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少し登ると、景色が開けてきました。足はガクガクしますが、爽やかな風に吹かれて、花盛りの向こう側の山と、やはり斜面にへばりつくように建てられた家を眺めます。ほぼ山登りの感覚~。

さらに路地を登り、広めの道路に出ると、甘川洞文化村の歴史を写真つきで説明しているらしきプレートが展示されていました。そろそろ入口近くかな。

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一番肝心の説明(避難民が殺到した様子)のプレートの前にバイクが駐車していて、正面からの写真が撮れません。ちょっとちょっとぉー。

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この道路に沿ってしばらく歩くと、予想通り、甘川洞文化村の入口に着きました。これがまた、売店と飲食店が道路の両側に建ち並んでいて、普通に観光地なのですね。各国の観光客がバスで乗り付けるような場所。観光客は韓国人がやっぱり多いのだけど、名所巡りのツアー団体客が多いので、中国系の方もすごく多かったですね。あと、ベトナム人と、マレーシア人の団体さんもいました。たまたまだと思いますが、このときは殆ど日本人は見かけませんでした。

飲食店の建ち並ぶ道をそれて、景色を展望できる場所に上がります。

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流石に港町って感じの景色です。よい眺め。

山側の眺めはこんな感じ。

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鮮やかな色の塗料で、家々が塗り分けられております。まるでオモチャみたい。

次の写真は路地の風景。

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この日の朝方は雨が降っていましたが、だんだんお天気が良くなってきました。絶好の観光日和です。

甘川洞「文化」村というだけあって、街のあちこちに壁面や設備を利用したアートがありました。全部は写真を撮っていませんが、風変わりなのがこれ。

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星の王子様と一緒に写真が撮れるという訳です。いわゆる「インスタ映えする」ってやつですかね。撮影のために長蛇の列ができていました。

井戸と壁面を利用したアートや、

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壁面にタイルで施したアートもあります。

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桜がほんと満開でした。

移動しながら撮影していますので、またちょっと違う角度からの写真をば。

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青い屋根が映えて綺麗です。

でもやはり印象に残ったのは、何故かそこだけ建物が建たずに農地として残っていた農地の黄色い花と、山の桜の美しさ。

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思いがけずお花見をしてしまいました。

順路に沿って一通り見学したので、急坂を階段で降りて帰ります。

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上の写真でもキムチの壺がちょっと見えていますが、甘川洞文化村は観光地として整備されているとはいえ、住民が現に住んでいて生活している街です。甘川洞文化村があまりにも観光地化されてしまったために、住民が静かに暮らせなくなっているという事態も生じているそうです。上のキムチの壺も、近寄ってみると「開けないで」と注意書きが書かれていました。また、「住民の生活のために、大声で喋るのは止めてください」という注意書きがあるところもありました。

街が寂れてなくなってしまうよりは、観光資源として活用した方がいいのでしょうが、有名になりすぎるとこういう問題がどうしても発生しますね。

韓国の都市部で「~マウル(村)」と名前が付いているところは、貧しかった1950年代~70年代の町並みが残されており、釜山でも、こういうマウルを第2・第3の甘川洞文化村を目指して観光地として環境整備する動きが出てきているようですが、どこも、観光客と、住民の生活との間に軋轢が生じているようです。

甘川洞文化村を見学するときも、住人が生活している場所だということを忘れずに見学しましょう。

(注)この記事を書くにあたり、釜山の歴史については、主に、鄭 銀淑(チョン・ウンスク)著・港町ほろ酔い散歩 釜山の人情食堂(双葉文庫)の助けを借りています。綿密な取材がされており、沢山の写真(おいしそうな食べ物の写真も多数)ありで、釜山旅行を考えている人にはおすすめの本です。

 

(おまけ・3月30日の朝食)

この日の朝ごはんの焼き魚韓定食。

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これに魚のあら汁とご飯が付きます。釜山で食事すると、どこもこの調子で沢山出てくるので、間食する余裕が全くなかった(泣)。

あまり店の写真は載せないのだけど、珍しく載せてみます。チャガルチ市場の雰囲気が分かるかな~と思って。

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右下にヌタウナギの看板とガラスケースの生け簀に入った実物がいますが、今回、ヌタウナギは食べることができず。残念~。