韓国に行ってきた その1・2019年3月釜山旅行(移動と釜山の街と食い倒れ)

2019年3月29日(金)から3月31日(日)まで、1日だけ平日休んで2泊3日で韓国・釜山に週末旅行に行ってきました。韓国に行ったのは初めてです。しかも、チケットを取ったのは旅行の10日前。

 

本当は九州あたりに行きたいなと思っていたのですが、調べてみたら、東京から九州に行くより、東京から釜山に行く方が旅費も安いし、時間も大差がありません。

元々、舞台などエンタメは好きな方ですが、これまで殆ど縁がなかった韓国のエンタメ、昨年、名作ドラマや映画をみてその質の高さに唸り、韓国にも一度行ってみたいと思っていたところだったので、行ってみることにしました。

突然、旅行することにしたので、韓国については、文在寅大統領の自伝からの知識と、エンタメからの知識程度しか予備知識がありませんでしたが、日本の旅行者が多い国であることもあり都会の日本語表示も充実しているようですし、最近は韓国の人の英語力も向上しているようでしたので、なんとかなるだろうと考えました。

事前準備

アジア各国、旅行者が簡単に安いSIMカードを空港などで入手できる(但し、「日本以外では」ということみたいですが……)昨今ですが、韓国のものは2泊3日には少し割高で2000円以上するようでしたので、日本で、事前に、AISのSIM2Flyという、タイのプリペイドローミングSIMを買って持って行きました。

Amazonなどで簡単に入手できます。あ、もちろんですが、SIMフリースマホが必要です。成田などで日本人旅行者の様子を見ていると、まだまだ海外旅行用のレンタルWi-Fiなどを使っている人が多そうですからね…。

経路

うちは比較的羽田空港が近いので、海外に行くときも、いつも羽田発ばっかりですが、羽田から釜山は直行便がありません。羽田から釜山に行くために関空で4時間も乗り換え待ちをするのなら、成田に行っちゃえ!ってことで、久しぶりに成田からです。

成田までは、大崎駅前から出ている京成バスのリムジンバスを利用しました。事前予約すれば片道1000円、予約なしだと片道1200円です。おそらく成田から都内への交通機関の料金としては一番値段が安いのではないでしょうか。

リムジンバス、さすがに人気で補助席も出ていました。後ろの席は、韓国人の旅行者らしき女性2人組で、既に旅情が盛り上がってきました。

エアプサンで韓国へ

フライトはエアプサンの便でほぼ定刻どおり出発しました。エアプサンはLCCなので、機内では飲み物が出るだけの簡素なサービスですが、2時間ですしね。これで十分です。

飛行機は、中央アルプスを越え、福井県あたりで日本海に出たら徐々に降下を始め、すぐに釜山・金海(キメ)国際空港に着きました。空港の北側に山が迫っているためか、南側の海からアプローチしてえらく急旋回した直後に着陸。軍用空港と兼用なので、機内アナウンスで空港の撮影が禁じられていると告知されました。

SIMは事前に購入済みで、設定も成田で済ませてきたので、空港では特に対応が必要ありません。お金はいつものとおりATMでキャッシング。20万ウォンをキャッシングして、手数料が3600ウォン。合計20万3600ウォンを、帰った後の4月3日に繰り上げ返済したら、利息込みで約1万9600円でした。

釜山市内へ移動

韓国でも、移動には交通ICカードがある方が便利なので、空港のコンビニや売店で「T-money」カードを探したのだけど、見つかりません。コンビニにも売り切れの表示があるだけです。諦めて、現金でチケットを購入し、釜山-金海軽電鉄(モノレールのようなもの)に乗って釜山市内に向かいます。軽電鉄のチケットは、ICチップ入りトークン方式です。降りる駅でトークンが回収されます。

軽電鉄の車窓から、満開の桜が見えました。釜山でお花見ができるとは思ってもいなかった。

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大きな橋を渡ります。流石に大陸(といっても朝鮮半島ですが)を流れる川は大きい。

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渡った反対側の道路が渋滞しています。金曜日の夕方だったので、渋滞を避けるために軽電鉄にしたのです。この写真からは、市内行き方面はそれほど支障がないように見えます。

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7分ほどで終点の沙上(ササン)駅に着きました。ここで降りて地下鉄2号線に乗り換えです。

さっき見つからなかった「T-money」カードをこのあたりで購入しときたいところですが、ここで気の散りやすい私はおおっと!となる。

地下鉄ササン駅の改札に通じる地下道でめっちゃ上手い人がオケ付きで歌ってるじゃないですか。

動画を上手くこの記事に貼れなかったので、Twitterの投稿にリンク貼っておきます(音量注意)。

このときの動画は、インスタにも投稿したので、一応インスタのリンクも貼っておきます。ちょっと最後尻切れトンボになっておりますが。

てか、この人プロだよね??

私は長年ミューヲタだったので伊達に舞台は観ていないと思いますが、日本のミュージカル俳優でこれ以上歌える人はちょっと思いつきません。

何やら音楽フェスティバルのようなもののよーでした。

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さすが芸能の国。

ところで、地下道では「T-money」カードを売っている場所が見つからなかったので、スマホでコンビニを検索して地上へ。コンビニの店員のお姉さんが英語できるひとで助かった…。「T-money」カードがあるかどうか確認したら、棚から出してきてくれました。図柄によって値段に差があることも説明してくれます。

カードを選んで、チャージもお願いして精算を済ませ「ありがとう」と言ったら、お姉さんもニッコリ。お店の人が優しくてよかったー。

「T-money」カードも無事入手できたので、2号線で沙上(ササン)駅から西面(シミョン)駅まで乗りました。通勤時間帯であることもあって、比較的車内は混み合っています。西面(シミョン)駅に着いて、乗り換えのために改札口から出ようとしたのですが、なぜか自動改札で引っかかる。呼び出しのインターホンはあるのですが、近くに駅員さんが入ればその方がてっとり早いので、キョロキョロしたけど、やっぱり見当たりません。

まあ、さっきのお姉さんの感じからすると、観光客も多そうだし、インターホンで英語で話せば来てくれるだろうとインターホンを使おうとしてたら、通りがかりの親切な年かさの紳士が英語で「大丈夫ですか?」と話しかけてくださいました。インターホンで話すから大丈夫ですよ、と丁重にお礼を言っておきました。インターホン越しに英語で「駅の外に出られません」と話して、駅員さんに来てもらい、改札を通してもらいます。

ここ西面(シミョン)駅で、1号線に乗り換え、目的地のジャガルチ駅に向かいます。2号線に比べると少し空きましたが、空いているのが優先席だけだったので遠慮して立っていたところ、優先席に一人で座っていたおばあさんが私のことを小突いて、隣の席を指さします。空いているから座りなさい、という訳です。荷物もありましたので、ありがたく座らせてもらいました。見てると彼女は、他の人にも座るようにと言ってました(言われた男性は断ってましたが)。

車内を観察していると、中年以上の男性もぶすっとしていないで、連れか、たまたま乗り合わせた人なのか、分かりませんが、楽しそうに話をしています。これは興味深い。手を繋いだり肩を寄せ合って楽しそうにしている若いカップルもいるし。

私が事前に抱いていた「韓国」のイメージ(儒教の国、上下関係に厳しい…)とは随分様子が違うようです。なにより、男性が思ったほど威圧的な雰囲気ではありませんでした。もちろん、深く社会に関われば色々あるのでしょうけど。

てか、男性が無意味に攻撃的なのって、もしかして日本だけちゃうの。

食い倒れ初日

ジャガルチ市場近くのホテルに無事チェックインしたら、もう結構いい時間だったので、この近所を散策がてら、焼肉を食べることにしました。

街が大阪っぽい?

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気づかずにうっかり変なモードにしたまま撮ってしまったので、なぜかイラスト風の写真となっております。

美味しそうな屋台街もありましたが、素通りして焼肉街と呼ばれているところに行って焼肉を食べることにしました。炭火焼肉です。

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これがまあ、量が多かったのなんのって。

韓国の焼肉は、基本的にお店の人が焼いてくれますが、注文するとガンガン焼肉を焼き始め、焼いたのを適当に食べていると、お店のおばちゃんが焼ながら、「これで巻いて食べる」、「これ(キムチやニンニク一片とか)載せて食べる」、「一口で食べる」だの、めっちゃ指導されるわ、付け合わせの野菜やキムチをどんどん追加されるわで、ゆっくり食べている暇がありません。あと、多分注文していない肉も来てるな…。

お勘定したら随分キリのいい値段だったので、結構会計が大雑把?(これくらいの量だったら何万ウォンコースとか…。)当分、もう焼肉は写真すら見たくない気分です。

焼肉が修行とは知らなかった。

で、やめときゃいいのに別の店に移動してシメに밀면(ミルミョン)。

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これは朝鮮戦争のときの朝鮮半島北部からやってきた避難民が持ち込んだ北部風の料理で、本来、麺はジャガイモデンプンの麺であるところ、当時、物資が不足してジャガイモのデンプンがなかったのと、南部の人には固いジャガイモデンプンの麺を食べる習慣がなかったので、小麦粉の麺となってそのまま今日に至っております。

あ、ちなみにお茶だと思ってヤカンの液体を注いで飲んだらダシの味がしたので、変なのと思っていたら、ミルミョンには必ず牛スープが付くものなんだそうです。知らなんだ。

うーんうーん、お腹いっぱいで苦しい…。当然、屋台のおいしそうなキムパップやおでんに手を出す余裕もなく、食い倒れで記憶が薄れる中、釜山の初日が暮れていったのでした。

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つづく。

 

冬のベトナム・ハノイ+α その13(ホアロー収容所と旅の終わり)

今回の旅行日程(2018年12月27日から2019年1月4日まで)

12月27日(木) 日本→ハノイ泊

12月28日(金) ハノイ泊

12月29日(土) ハノイ泊

12月30日(日) ハノイ→ホアビン省マイチャウ泊

12月31日(月) ホアビン省マイチャウ→タインホア省プーロン自然保護区→ホアビン省マイチャウ→ハノイ泊

1月1日(火) ハノイ泊

1月2日(水) ハノイ泊

1月3日(木) ハノイ(ノイバイ国際空港近くのトランジットホテル泊) ↓ここから最後まで

1月4日(木) ハノイ→日本

 

1月3日の続きです。

ホアロー収容所跡(di tích Nhà tù Hỏa Lò/Hỏa Lò Prison Museum)

女性博物館の次は、徒歩でホアロー収容所跡へ向かいます。

ホアロー収容所がある場所は、元々、焼き物を作っていた村だったのですが、フランス統治下の1896年、村民は立ち退かされ、そこに監獄が建築されました。刑務所は、当時、ベトナム国内で激化していたフランスに対する独立運動や抗議活動を治めるためでした。

…といった建設当初からの歴史が、元刑務所を改装した博物館の展示によって説明されています。

ベトナムのこの手の歴史博物館や跡地には何度か行ったことがあったので、ベトナム人の気合いの入った施設を見せられるだろうことは覚悟して行きました。

薄暗い建物に入ると、やはり、当時の様子が蝋人形を使って再現されています。

下の写真にも写っていますが、ヨーロッパ系の方が沢山見学に訪れていました。特に、フランス人の姿が目に付きます。以前、コンダオ諸島にあるタイガーケージにも行ったことがありましたが、そこにもフランス人が来ていました。友人の配偶者がフランス育ちのフランス国籍人なのですが、彼と話してみると、フランスがかつて統治していたインドシナの歴史は自分達の歴史として捉えているようでした。当たり前ですが。だから、フランスの人にとって、ベトナムの監獄の歴史は自分達の歴史の一部なのでしょう。

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下の写真は足かせです。これで囚人たちが逃げないように足を固定していました。

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独房らしき部屋の扉に付いている、のぞき窓からのぞくと→

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ひ、ひえーーっ。びっくり。恨めしげにこちらを睨む蝋人形と目が合ってしまった…。

ホアロー収容所には、共産主義者やジャーナリスト、独立活動家などが収容され、過酷な扱いを受けつつも、囚人はこれに抗議し、

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時には穴を掘って脱獄し、

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抗議の意志表示のためにインターナショナルなどの抵抗歌を歌い、ジャーナリストや学者などの知的階級の人々が、そうでない人々に英語やフランス語や思想を教え、

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フランスに勇敢に立ち向かった様が展示されています。

収容所跡地の一角は、死刑囚を収容した監獄と処刑場が再現されていて、有名なギロチンが展示されていましたが、この一角は写真が撮れませんでした。怖くて。やっぱりベトナムの監獄の跡地は怖い。

しかし、そうは言っても展示を見て外に出ると、平和な時代になってから建立されたモニュメントもあって、ちょっとほっとした気分になります。

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ホアロー収容所は、まだ、きれいに観光地化されている感じです。同じ監獄でも、人気(ひとけ)のないコンダオ諸島のタイガーケージはマジで怖かった…(島に行く・その10(6日目 アンハイビーチと元監獄見学)~2018年4月・5月ベトナム)。私は霊感などありゃせんが、あそこはマジメにお化けが出ると思う。

空港近くへ移動、そして旅の終わり

翌日のベトナム航空の便が朝だったので、午後4時にそれまで泊まっていたハノイ旧市街のホテルに車を呼んでもらい、空港近くのトランジットホテルに向かいます。

一服してから、外の様子を見に出かけてみましたが、道以外は真っ暗で何もない…。道路沿いに幾つか飲食店があり、適当に入ってみたら、宴会料理しかメニューがない店。店員さんの片言の英語の説明では、鍋がおすすめみたいだったが、めちゃくちゃ量が多そうだったので、とりあえず、なんとか野菜炒めとローストチキンを頼んだら、ローストチキンが巨大すぎた。そして肝心のモモ肉が生焼け…。でもベトナムの鶏肉は美味しいといつも思う。そりゃ、ほぼ全員(?)地鶏の放し飼い状態だもんね。がんばって食べた(だいぶ残した)。

お勘定のとき、商売上手の女将さんが私の顔を撫で回して”Beautiful!”と言ったので、ベトナム語で「お綺麗ですね」と返礼しといた。場末っぽいですねー、ええ、確かにここは場末です。

てか、さっき、おすすめを説明するときも店員さんが肩に手を回して説明してきたのだけど、ベトナム人って結構、他人、特に同性同士だと、気軽に触る?のかな?

まあ江戸時代の日本人も従者がお嬢さんの手を引いて往来を歩いたりしてましたからね(もちろん主従関係だけで恋愛関係とかではない)。

部屋に戻ると、これまた変な部屋で、バブルバスに浴室が二重窓。なんだけど、二重窓の間にヘンテコな空間があって、中窓からその空間を覗くと、階下まで空間が繋がってた。何故こんな構造になったのか、かなり謎どした。

無駄にだだっ広い部屋には巨大なダブルベッド2つ、スペアのベッドを持ち込めば8人くらい泊まれそう。

1つのベッドの横にはクローゼットが設置されていたのだけど、ベッドのために完全に死んでて、クローゼットのドアが開放できない。少しだけ開けて中を覗くと、カビ臭いにおいがして、使われている気配が全くなかった…。

 

翌朝、午前6時にはホテルにノイバイ国際空港に送ってもらって、丸刈り・腕章のベトナム人実習生の集団と一緒に日本に無事、帰ってきました。

 

毎回、なんどかんだと色々あって、腹の立つこともあるけど、やっぱりベトナムはおいしくて面白い。

今回の旅行記を書いている最中、ある人にこのブログを「おもろい」と褒めて貰って、とても嬉しくてずっと考えていたのだけど、このブログを面白いと思って貰えるとしたら、やっぱり心底、自分が面白いと思ったことしか書いていないからかなー。自分が面白いと思うことが人も面白いと思うのかどうかとか、あまり考えてもいないし気にしてもいないけど。

では、また旅に出ることがあったら、旅行記を書こうと思います。

 

 

 

 

 

 

冬のベトナム・ハノイ+α その12(ベトナムおばあやんと女性博物館からベトナム女性の偉大さを知る)

今回の旅行日程(2018年12月27日から2019年1月4日まで)

12月27日(木) 日本→ハノイ泊

12月28日(金) ハノイ泊

12月29日(土) ハノイ泊

12月30日(日) ハノイ→ホアビン省マイチャウ泊

12月31日(月) ホアビン省マイチャウ→タインホア省プーロン自然保護区→ホアビン省マイチャウ→ハノイ泊

1月1日(火) ハノイ泊

1月2日(水) ハノイ泊

1月3日(木) ハノイ(ノイバイ国際空港近くのトランジットホテル泊) ←イマココ!

1月4日(木) ハノイ→日本

 

冬のベトナム・ハノイ+α その11(ハノイの街とバインダークア)の続き。

ロンビエン橋の近くまで来ていたので、ロンビエンバスターミナルからバスに乗って博物館を回ろうかと考えました。

店を出て、ロンビエンバスターミナルの南側の交差点、道路の左側から対面に渡ろうと思ったのですが、この交差点、信号はないし、横断歩道などあってなきが如し、というベトナムの都会ではよく見かける交差点です。

もう大量のバイクの集団には大分慣れていて、バイクはそれほど速度を出していないので構わず渡ってしまうのですが(同じ速度で一定方向に歩いているとバイクが人をよけて通っていく)、ここは右折をしてハノイの郊外に出る橋に通じる道路ですので、普通の自動車が多い多い。

ベトナムは右側通行ですので、交差点を道路左側から対面に渡ろうとすると、どんどん左側交差道路から車ばかりが突っ込んできます。

大体こういう場合は何台かやり過ごして切れ目で渡るのですが、ここでは全然車が途切れなくてどうしたもんかと思っていると、私の右側にいつのまにかノンラーに黒い服の腰の曲がったおばあさんがいて、私の方を見て何事かフニャフニャ言ったのに気が付きました。

何かして欲しいのかな?と一瞬頭をよぎったのですが、考える間もなく、おばあさんの姿が消えた!と思ったらおばあさんが素早く私の後ろを通って左側に回り、私の左腕を引っ張って交差点を渡り始めました。つまり、おばあさんは助けて欲しかったのではなくて、助力を申し出ていた訳です。

ありがたくおばあさんと一緒に交差点を渡り、無事、渡り終わったところで、身をかがめておばあさんにお礼を言いましたところ、おばあさんはニコニコしながら満足げな表情。笑った口の中には歯は数本しかありませんでした。ああ、ここでは入れ歯みたいな気の利いたものはないんだろう。

この出来事を、この記事を書くために改めてよく反芻してみたのだけど、あの私の後ろを通って左側に回り込む素早い動き、私の左側に立つ、つまり、私の盾になろうという一瞬の判断、いずれもただ者でないと思われる。

外国のお年寄りの年齢はよく分からないし、特に栄養状態が悪い時代を過ごしてきたと思われるベトナムのお年寄りは、見た目で推測するよりは若いのではないかとも考えたのですが、先日のハノイでの米朝首脳会談の際、ハノイのお年寄り(男性93歳)のTVインタビューを偶々目にしたのですが、そのお年寄りと、このときのおばあさんとで、そんなに年齢では違いがあるようには見えませんでした。

このおばあさんが仮に、もし、90歳前後だとすると、青年期~壮年期にインドシナ戦争とベトナム戦争に遭遇し、戦禍を生き延びててきた訳です。「銃弾をかいくぐってきたんだから、車をかいくぐるなんてどうってことないわよ」ってか。年を取ってもなお、人に助けて貰うのではなく、助けようという心構えと豪胆さ、肝が据わっててすごい。

 

さて、おばあさんに助けて貰ったから、という訳ではなくて最初から行くことに決めていたのですが、バスに乗って向かったのは

ベトナム女性博物館(Bảo tàng Phụ nữ Việt Nam/Vietnamese Women’s Museum

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なかなか美しい建物です。

2階が「家庭での女性」、3階は「歴史の中の女性」、4階は「女性のファッション」というテーマで展示されています。

3階の常設展示場ではない場所に展示されていたのがこれ→

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このバイクでベトナム各地を回り、生き残っている女性の英雄を訪ねる、というテーマのTV番組が放送されたらしく、その際に訪ねた女性たちの顔写真をTVの映像の回りに展示した、印象的な展示です。

ベトナムでは植民地支配や外国の侵略に抵抗するため、多くの女性たちが銃を持って戦っており、女性の英雄が沢山いるのでした。うーんあのおばあさんも旧ソ連製ロケットランチャーをぶっ放して戦ったのでしょうか?可能性としてはなくはないです。

次は、女性博物館のパンフレットにも載っている展示です。一通り回ってみましたが、これがやっぱり人目を引くのですね。

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少数民族の伝統的衣装ですが、近寄ってみると、本当に細工が細かくて綺麗。

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少数民族といえば銀細工ですが、このアクセサリー欲しい。

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銀が曇ると左側みたいになるんですね。レプリカ売って欲しい。

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次の博物館に続く。