島に行く・その1(日程)~2018年4月・5月ベトナム

今回の旅行日程についてのメモです。

4月27日(金) 羽田空港直結のホテル泊(どこかすぐ判ってしまうがまあいいや)

4月28日(土) 羽田→ホーチミン市着 ホーチミン市泊

4月29日(日) ホーチミン市泊

4月30日(月・祝) ホーチミン市-ブンタウ往復 ホーチミン市泊

5月1日(火) ホーチミン市→コンソン島(コンダオ諸島) コンソン島泊

5月2日(水) コンソン島泊

5月3日(木・祝) コンソン島泊

5月4日(金・祝) コンソン島→ホーチミン市 ホーチミン市泊

5月5日(土) ホーチミン市→羽田着

今回は旅の最初に風邪を引いてしまい、風邪っぴきのまま旅行したので、体力的にはちょっときつかった。おかげで買い物は全くしなかったし、ホーチミン市では近所の観光客対応の店でご飯を食べただけだった。

こういう体力の弱ったときは何かを呼び寄せるのか、前半、観光地特有の詐欺的被害(大した額じゃないけど腹が立つ)に何度か遭遇して心が折れそうになったが、さすがに離島のコンソン島はのんびりしていてそんな気配は全くなく、海もきれいで、心身の保養になった。移動日を除き丸2日はちょっと物足りず、できれば、あと1日くらいは欲しかったが、丸2日間天候には恵まれたのは幸運だった。

なお、コンソン島滞在が4日になったのは、4月30日(月)はベトナムの祝日で、コンダオ行きの航空便がなかったためである(ホーチミン市-コンダオ便は、平日しか運行していない)。

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さて、この後、旅行記的な記事の更新ができますことやら(まだ風邪から本調子に回復していない)。

我慢しない人々~仮名手本忠臣蔵

長くなるので…

Twitterアカウント @tamarind2015 では、あまり趣味の話はしないようにしているのだが、私が現代ニッポンを考察する材料の一つにしているものが芝居(歌舞伎)なので、ちょこちょこ書くことがある。

そもそも、観劇なんて、その舞台の背景となっている文化を考察しないと楽しくなかったり理解ができないものである。

そして、歌舞伎についてその背景事情を調べていると、日本で「伝統」とされているものが嘘っぱちであることがはっきりと判ったりする。

しかも、昨今は極右カルト勢力が「伝統」を利用して日本の人を都合のいい方向で統制しようとしている。

こういう事情から、どうしてもTwitterコメントしたいな、コメントせざるを得ないな、と思うことが多い(みんな知らなくてピンと来ないようで、ツイートしても反応は鈍いが…)。

前置きが長くなった。

そういう流れで、今回も以下のツイートをしたところ、「仮名手本忠臣蔵」における「現代と江戸期のメンタリティの違い」を説明して欲しいという要望を頂いた。奇特な…いいえ、有り難いご要望である。

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それで、「仮名手本忠臣蔵」における「考えの足りない人々」について、TwitterのTLで説明を試みることになったのだけど、いざ始めてみると、以下、「主君編」だけでもかなり長くなってしまった。少なくとも、到底、Twitterに相応しいヴォリュームとはいえない。

そこで、ブログにまとめてみた、という次第である。

まだ、他にも色々あるのだろうけど、とりあえず「主君編」、「家臣・家来編」、「関係ない町人・農民編」に分類して説明してみる。

主君編

・最初師直にいじめられていたのは塩谷判官ではなくて別の人(桃井若狭之助)

・ところが桃井家家臣加古川本蔵は若狭之助の思慮浅薄を心配し、先回りして師直に賄賂を贈ったので師直の機嫌が直り、若狭之助はやり返す機会を失う。なので我慢が足りない人は塩谷判官ではなくて桃井若狭之助

・代わりに色恋沙汰の怨恨(師直は塩谷判官の妻顔世御前に横恋慕)から師直からいじめられるのが塩谷判官

・塩谷判官は師直に切りつけるが、ここでも本蔵が後ろから抱き留めたので師直は殆ど傷も負わずに逃げてしまう。

・「刃傷の場」が、本蔵がいなければ当然師直は斬られただろう場面として描かれる、ということは、公然と侮辱したら殺されても文句は言えないという価値観はあっても、塩谷判官が我慢が足りない人だとは考えられていない。

家臣・家来編

お軽・勘平

・塩谷家家来・早野勘平は、勤務時間中に恋人の塩谷家腰元・お軽とデートしていて、主君の大事に駆けつけられない。デートっていうか、城を出て、二人で人目に付かないところに行ってえっちしていたらしい。昔の芝居ってこの辺りの表現とか台詞はわりと露骨で際どい。

・そもそも師直が塩谷判官に対して機嫌が悪くなったのは、顔世御前からお断りの手紙が判官と対面中っていう最悪のタイミングで来たからなのだけど、その手紙は、お軽が勘平に会いたくて持って行ったものだった。別にその日でなくてもよかったのに!

・勘平は結局その後の六段目で色々早合点して絶望して腹を切って死んでしまう。本当は死ななくてもよかったのに。「色にふけったばっかりに」という、イケメンでないと成立しない有名な台詞あり。

・でもお軽・勘平の登場場面は、美男美女カップル設定なので人気のある場面(本当はね…。今は役者名を見て「………。」となること多し)。

加古川本蔵

・塩谷家中の不満は、塩谷家は家取り潰しになったのに対し、師直が殆ど負傷もせず生きている上おとがめもなし、というところ。

・加古川本蔵が賄賂を贈ったばっかりに塩谷家にとばっちりが来た、大体賄賂を贈るなんて武士にあるまじき卑怯な振る舞いである!こんなことになるんだったらいっそ判官様が師直を斬ってしまえばよかったのに。余計なことしやがって。というのが塩谷家中の本蔵に対する気持ち。

・一番後悔しているのは本蔵。本蔵もよかれと思ってやったことだったのだがこんな結末に。ということで結局、本蔵は自分の命をもってこの落ち度を償う(九段目)。

関係ない町人・農民編

・十段目、「敵討ちを助太刀する町人」がテーマになっている。町人が格好良く描かれている場面で、江戸時代には超人気がある場面だったらしい。今は殆どかからない…。

・同様に、七段目では、お軽の兄・寺岡平右衛門は農民出身であるにもかかわらず、功績により敵討ちに加わることを許される。

・橋本治先生などは、「仮名手本忠臣蔵」を「敵討ちに加わりたかった町人の物語」とおっしゃっている(「浄瑠璃を読もう」、まだ途中までしか読んでない…。)

まとめ

ね、我慢している人ってあんまりいないでしょ。そもそも、「仮名手本忠臣蔵」は敵討ち以外のスピンオフが異常に長いのであった。しかもそういう場面の方が人気がある。私も、「仮名手本忠臣蔵」を観ると、いつも最後の討ち入りの場面ってとってつけたようで面白くないなー、と思う。「仮名手本忠臣蔵」においては、討ち入りはもはや本題ですらなく、どうでもいいのだった。

これに対し、いわゆる「赤穂事件」そのものを題材とした現代の「忠臣蔵」ドラマは、確かに、「主君は我慢が足りなくて駄目だった。部下が我慢して成功を成し遂げた」というテーマであると思うけど、これは少なくとも江戸期の町人メンタリティではないと考える。

今でもたまに、大正時代以降に書かれた「新作歌舞伎」として、(当時にしては)リアルな「忠臣蔵」がかかることがあって、私も観たことがあるけど、これも正直退屈。劣化した時代劇のようななんというか。少なくとも、生き生きした江戸時代の町人の息吹は感じられないのであった。

空港のセキュリティでは靴を脱ぐ・その12~2018年1月ベトナム

どんどんいきます。

2018年1月6日。

朝は、前回の旅行に引き続いて、また来てしまった、ヒンズー寺院の目の前のフーティウの店。しかし、激混みで入れない。諦めて他に行こうかと思ってぐるぐる歩いたが、他も駄目で、戻ってきたら入れた~。やった~。外からは様子がよくわからなかったが、席がそろそろ空きそうだったので、中に入って席を探していたら、お店の人が、チョンチョンってリュックを叩いて教えてくれて、座ることができた。

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麺の種類と、汁あり・汁なし、豚肉・肝臓・腎臓のモツを選べる。これは、中華風の麺と、フーティウ麺の柔らかい方(きしめんみたいな麺)を半々、汁あり、全部のせである。麺を写すの忘れた…。

モツだけど全然臭みがなくて、やっぱり美味しい!満足である。

台湾もそうだけど、ベトナムも、肉料理には気合いが入っていると思う。やはり元々肉を食べる文化だった場所は、肉料理が美味しい。日本と全然違う。

食事後、ついカフェに入ってしまうけど、ここはあまり気に入らなかったので、階段の写真だけ。でも、やっぱりこういう古い建物の階段の感じはいいなあと思う。

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翌日は移動日だったので、宿に戻ってパッキングをある程度済ませーの、お昼にカニを食べーの。

「94」という数字が見えるのはどっちもカニの店なのだけど、こういう類似店が集まっているところのお店はどこも美味しいんだそうな。

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これはカニのスープ。

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ソフトシェルクラブの唐揚げ。

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お腹いっぱいである。

店の外にカニが置いてある。これがソフトシェルクラブでしょうか。

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大きいカニ。

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あとは、ATMを探したり、ドンコイ通りの方に移動したりしながら、実質的にベトナム滞在最後の日の街を散策した。正月時期なので、ドンコイ通りまで来るとさすがに日本人をたくさん見かけた。

その他、グエンフエ通りの大きな書店で本をチェックするなど。面白いのでベトナム語教材の本も買った。荷物は重くなるけど、海外って本が安いので。てか、日本って本は割高だよね…。

さすがに1月6日には、旅疲れも出て、胃腸が疲れてきた。よく考えると、氷入りの飲み物を頼みすぎた…。私は日本の夏には、冷やした飲み物を常飲しないようにしているのだけど、ちょっと油断した。

お腹が疲れたので、晩ご飯は小洒落たオーガニック食材を使ったというのが売りのお店に行ったけど、うーん。まずくはないのですけどね。という訳で写真はなし。

この国では、冷房完備で内装もお洒落、かつ値段もまあまあ高い、というお店の食事の味に感嘆することがあまりない。その逆で、かつ、地元の人が群がっているような店は外れがないのである。先のフーティウ麺の店やカニ料理の店のように。

翌2018年1月7日、宿のテラスから見たサイゴンの朝焼け。隣もホテルらしき建物を建てていた。この国では、色々な建物や施設が普請中なのである。

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楽しかったー、帰りたくないなーと思いながら帰路に就いたのだった。

ベトナムは気に入って、1年の間に2回も旅行してしまったけど、外国旅行における一般的な注意点を守っていれば、危ないことはないし、外国人が多いところであれば英語が通じるので、旅行はしやすいように感じた。スリとかひったくりのような泥棒、ぼったくりには気を付けた方がいいけれども。

あとは、人によってサービスがまちまちなので、そういうのが好きかどうか、中華文化が好きかどうかで好みが分かれると思う。例えば、台湾であれば、空港でSIMカードを中華電信のカウンターで買うのにも、台湾高鐵で別の都市に移動するのにも、何の支障も起きないだろうけど、ベトナムはそうは行かない。SIMカードのカウンターでお姉さんに舌打ちされたり、フーコック島行きの航空便は時間が変更しまくったりする。外国人が多いところであればなんとか英語は通じるが、日本語は通じない。そういうのが面白がることが出来るかどうかが分かれ目かなぁ。まだまだ行っていない場所、面白そうで行ってみたい場所がたくさんあるので、またベトナムには行きたいと思う。

ということで、今回のベトナム旅行記は、これでおしまい。