韓国に行ってきた その3・2019年3月釜山旅行(平和の少女像に会いに行く)

釜山に行ったら絶対に行くと決めていた場所がありました。

日本領事館傍の「平和の少女像」です。

言わずと知れた、「慰安婦」と呼ばれる、旧日本軍によって戦時性暴力の被害を被った幾多の女性達の苦しみを記憶するための像です。

 

甘川洞文化村を訪問した後、早めに昼食を取り、地下鉄で日本領事館のある草梁(チョリャン)駅に向かいます。日本領事館の最寄りの地下出口を出ます。

DSC_0321.JPG

出てちょっと歩くと、地下からのエレベーター出口の後ろに「平和の少女像」がすぐ見つかります。

DSC_0322.JPG

考えていた以上に、こぢんまりした像です。見た瞬間に、いろんな思いが胸を去来し、一言では言い表せません。

女性達が、「慰安婦」として連れて行かれたときは、まだ10代の少女だったので、像は少女の姿をしているんだそうです。

台座の後ろ側に回ってみると、少女がおばあさんになった姿がタイルで施されています。

DSC_0324.JPG

白い蝶は、韓国では魂の転生を象徴するようです。元「慰安婦」であった女性達が、日本政府の謝罪を受けられないまま亡くなったことを示しています。

そういえば、「国際市場で逢いましょう」でも、白い蝶が要所要所でモチーフとして出てきます。

像が設置された2016年あたりには、像の周囲は騒然としていたようですが、行ったときは土曜日だったこともあり、遠巻きに警察官が見守っているだけで、誰もおらず、とても静かでした。

DSC_0326.JPG

上の写真は、「平和の少女像」の正面あたりから撮りました。黄色い囲いがあるあたりが、日本領事館の正門入り口だと思われます。

反対側はこちら。

DSC_0325.JPG

日本の報道では「日本領事館前」と報道されていて、正面出たあたりに少女像がどどーんと置かれているのかと勘違いしそうですが、実際には塀の中間あたり、正確には「日本領事館の横」といった方がいいですね。

それにしても、日本領事館の塀が威圧的です。何かを恐れているのでしょうか?塀の向こうからのぞく桜の花だけが無駄に美しかったです。

もう一度、「平和の少女像」をよく見てみますと、台座のところには桜の花びらが落ちていなくてきれいに掃除され、新鮮な花が手向けられています。毎日、誰かがお参りしているのでしょう。元「慰安婦」を支援する方々の、地道な支援活動が窺えます。

DSC_0323.JPG

いわゆる従軍慰安婦の問題について、私としては、彼女たちに対して心底気の毒で心が痛む思い、それ以外に何もありません。大部分の「慰安婦」が、年端もいかない教育程度も低い貧しい出身の女性達であり、嘘の広告に騙されて連れて行かれたのです。そして、それに対する旧日本軍の関与が強く推定されているのですから、なんで日本政府が謝罪しないのか、河野談話程度の内容を官房長官が発表することはごく当たり前でなんで問題になるのか、さっぱり理解ができません。大日本帝国と現代日本国は別の物だし。別の物だと思いたくない人たちが問題にしているんでしょうか。きっとそうなんでしょうね。

「平和の少女像」は、もう、ずーーーっとここに置いておけばいいと思います。昨今の情勢からすれば私がこんなこと言わなくても、そうなりそうですけど。

このことに対する解決には何の力もない、無力な自分に情けなくなりつつ、「平和の少女像」を後にしました。

 

(おまけ・3月30日の昼食)

カンジャンケジャン。ワタリガニの醤油漬けですね。

DSC_0315.JPG

初めて食べた。どう見てもソジュのつまみです。短い訪問日程に、無理矢理食べたいものを詰め込んだのでこうなります。

昼間だったし、「平和の少女像」訪問前だったので、お酒は飲まなかったどー。昼から飲むのは一定の節度として(結婚披露宴とか特別なとき以外は)やらないことにしていますー。

韓国に行ってきた その2・2019年3月釜山旅行(甘川洞文化村)

今回は週末旅行だったので、まる1日使える日は3月30日(土)だけ。午前中、バスで釜山で行きたかったところの一つ、甘川洞文化村(カムチョンドンムナマウル)に行ってきました。

 

釜山の歴史や文化を語る上で、抜きにしては語れないのが朝鮮戦争と避難民で、戦中、釜山には北からの避難民が殺到しました。1947年には47万人ほどだった釜山の人口は、戦後の1955年には倍以上に膨れ上がったとのことです。

釜山を舞台にした韓国映画、「国際市場で逢いましょう」の主人公ドクスも、興南撤収作戦で朝鮮半島北部からやってきた避難民であり、離散家族であり失郷民です。靴磨きの少年ドクスに夢を語る、後のヒュンダイ創始者も避難民です。文在寅大統領の両親もそうです。朝鮮戦争と避難民の歴史は、朝鮮半島の近代史にとって抜きにしては語れないといった方がいいかもしれません。そして、釜山はその象徴的な場所といえるのかもしれません。

さて、朝鮮半島北部から避難民が殺到した釜山ですが、「釜山」という地名が示しているように、釜山は山から海に鋭く落ち込む、良港を擁する街に特徴的な地形であることから、平地が少なく、後からやってきた避難民は、家を建てて住むことができる土地を求めて、山の上へ上へと家を建てていったそうです。

そのため、釜山では、山地に沿って山のかなり上の方まで家が建て込んでいる場所が散見されます。そのような古い村を整備して観光地にして、現在、最も成功しているのがここ甘川洞文化村です。

数々のドラマやTV番組の撮影場所にもなっていて、2018年に韓国でヒットしたドラマ、「ライフ・オン・マーズ」のロケ地でもあります。チョン・ギョンホさん扮する主人公ハン・テジュが、1988年にタイムスリップした先で住んでいた場所として撮影されていたのも、甘川洞文化村でした。

 

チャガルチ市場のそばからバスに乗り、甘川洞文化村に近い場所とおぼしき停留所で降りたのですが、どうも、甘川洞文化村の入口は、もう少し上の方だったらしい。

DSC_0277.JPG

面白いので、この電話ボックスの手前の路地に入って歩いてみることにします。

DSC_0278.JPG

電話ボックスの「5G」の文字が誇らしげですね~。ちなみに、IT先進国のイメージの強い韓国ですが、このように、電話ボックスがあちこちに設置されているのを見かけました。携帯電話を利用しないIT弱者にも配慮していることが窺えます。

話が脱線しました。

坂になった路地を登り始めたまではよかったのですが、ほぼ、垂直移動をする羽目に。本当に山というか、崖のような場所に家を建てたんだな…。

古い家並みが残っているのですが、なかには更地になってしまっている場所もありました。確かに、高齢になって足腰が弱ると、こんな断崖絶壁のような土地に住むのはつらいでしょうね。

DSC_0280.JPG

少し登ると、景色が開けてきました。足はガクガクしますが、爽やかな風に吹かれて、花盛りの向こう側の山と、やはり斜面にへばりつくように建てられた家を眺めます。ほぼ山登りの感覚~。

さらに路地を登り、広めの道路に出ると、甘川洞文化村の歴史を写真つきで説明しているらしきプレートが展示されていました。そろそろ入口近くかな。

DSC_0283.JPG

一番肝心の説明(避難民が殺到した様子)のプレートの前にバイクが駐車していて、正面からの写真が撮れません。ちょっとちょっとぉー。

DSC_0282

この道路に沿ってしばらく歩くと、予想通り、甘川洞文化村の入口に着きました。これがまた、売店と飲食店が道路の両側に建ち並んでいて、普通に観光地なのですね。各国の観光客がバスで乗り付けるような場所。観光客は韓国人がやっぱり多いのだけど、名所巡りのツアー団体客が多いので、中国系の方もすごく多かったですね。あと、ベトナム人と、マレーシア人の団体さんもいました。たまたまだと思いますが、このときは殆ど日本人は見かけませんでした。

飲食店の建ち並ぶ道をそれて、景色を展望できる場所に上がります。

DSC_0287.jpg

流石に港町って感じの景色です。よい眺め。

山側の眺めはこんな感じ。

DSC_0288.JPG

鮮やかな色の塗料で、家々が塗り分けられております。まるでオモチャみたい。

次の写真は路地の風景。

DSC_0289.JPG

この日の朝方は雨が降っていましたが、だんだんお天気が良くなってきました。絶好の観光日和です。

甘川洞「文化」村というだけあって、街のあちこちに壁面や設備を利用したアートがありました。全部は写真を撮っていませんが、風変わりなのがこれ。

DSC_0297

星の王子様と一緒に写真が撮れるという訳です。いわゆる「インスタ映えする」ってやつですかね。撮影のために長蛇の列ができていました。

井戸と壁面を利用したアートや、

DSC_0300.JPG

壁面にタイルで施したアートもあります。

DSC_0304.JPG

桜がほんと満開でした。

移動しながら撮影していますので、またちょっと違う角度からの写真をば。

DSC_0306.jpg

青い屋根が映えて綺麗です。

でもやはり印象に残ったのは、何故かそこだけ建物が建たずに農地として残っていた農地の黄色い花と、山の桜の美しさ。

DSC_0305.JPG

思いがけずお花見をしてしまいました。

順路に沿って一通り見学したので、急坂を階段で降りて帰ります。

DSC_0314.JPG

上の写真でもキムチの壺がちょっと見えていますが、甘川洞文化村は観光地として整備されているとはいえ、住民が現に住んでいて生活している街です。甘川洞文化村があまりにも観光地化されてしまったために、住民が静かに暮らせなくなっているという事態も生じているそうです。上のキムチの壺も、近寄ってみると「開けないで」と注意書きが書かれていました。また、「住民の生活のために、大声で喋るのは止めてください」という注意書きがあるところもありました。

街が寂れてなくなってしまうよりは、観光資源として活用した方がいいのでしょうが、有名になりすぎるとこういう問題がどうしても発生しますね。

韓国の都市部で「~マウル(村)」と名前が付いているところは、貧しかった1950年代~70年代の町並みが残されており、釜山でも、こういうマウルを第2・第3の甘川洞文化村を目指して観光地として環境整備する動きが出てきているようですが、どこも、観光客と、住民の生活との間に軋轢が生じているようです。

甘川洞文化村を見学するときも、住人が生活している場所だということを忘れずに見学しましょう。

(注)この記事を書くにあたり、釜山の歴史については、主に、鄭 銀淑(チョン・ウンスク)著・港町ほろ酔い散歩 釜山の人情食堂(双葉文庫)の助けを借りています。綿密な取材がされており、沢山の写真(おいしそうな食べ物の写真も多数)ありで、釜山旅行を考えている人にはおすすめの本です。

 

(おまけ・3月30日の朝食)

この日の朝ごはんの焼き魚韓定食。

DSC_0271.JPG

これに魚のあら汁とご飯が付きます。釜山で食事すると、どこもこの調子で沢山出てくるので、間食する余裕が全くなかった(泣)。

あまり店の写真は載せないのだけど、珍しく載せてみます。チャガルチ市場の雰囲気が分かるかな~と思って。

DSC_0262.JPG

右下にヌタウナギの看板とガラスケースの生け簀に入った実物がいますが、今回、ヌタウナギは食べることができず。残念~。

韓国に行ってきた その1・2019年3月釜山旅行(移動と釜山の街と食い倒れ)

2019年3月29日(金)から3月31日(日)まで、1日だけ平日休んで2泊3日で韓国・釜山に週末旅行に行ってきました。韓国に行ったのは初めてです。しかも、チケットを取ったのは旅行の10日前。

 

本当は九州あたりに行きたいなと思っていたのですが、調べてみたら、東京から九州に行くより、東京から釜山に行く方が旅費も安いし、時間も大差がありません。

元々、舞台などエンタメは好きな方ですが、これまで殆ど縁がなかった韓国のエンタメ、昨年、名作ドラマや映画をみてその質の高さに唸り、韓国にも一度行ってみたいと思っていたところだったので、行ってみることにしました。

突然、旅行することにしたので、韓国については、文在寅大統領の自伝からの知識と、エンタメからの知識程度しか予備知識がありませんでしたが、日本の旅行者が多い国であることもあり都会の日本語表示も充実しているようですし、最近は韓国の人の英語力も向上しているようでしたので、なんとかなるだろうと考えました。

事前準備

アジア各国、旅行者が簡単に安いSIMカードを空港などで入手できる(但し、「日本以外では」ということみたいですが……)昨今ですが、韓国のものは2泊3日には少し割高で2000円以上するようでしたので、日本で、事前に、AISのSIM2Flyという、タイのプリペイドローミングSIMを買って持って行きました。

Amazonなどで簡単に入手できます。あ、もちろんですが、SIMフリースマホが必要です。成田などで日本人旅行者の様子を見ていると、まだまだ海外旅行用のレンタルWi-Fiなどを使っている人が多そうですからね…。

経路

うちは比較的羽田空港が近いので、海外に行くときも、いつも羽田発ばっかりですが、羽田から釜山は直行便がありません。羽田から釜山に行くために関空で4時間も乗り換え待ちをするのなら、成田に行っちゃえ!ってことで、久しぶりに成田からです。

成田までは、大崎駅前から出ている京成バスのリムジンバスを利用しました。事前予約すれば片道1000円、予約なしだと片道1200円です。おそらく成田から都内への交通機関の料金としては一番値段が安いのではないでしょうか。

リムジンバス、さすがに人気で補助席も出ていました。後ろの席は、韓国人の旅行者らしき女性2人組で、既に旅情が盛り上がってきました。

エアプサンで韓国へ

フライトはエアプサンの便でほぼ定刻どおり出発しました。エアプサンはLCCなので、機内では飲み物が出るだけの簡素なサービスですが、2時間ですしね。これで十分です。

飛行機は、中央アルプスを越え、福井県あたりで日本海に出たら徐々に降下を始め、すぐに釜山・金海(キメ)国際空港に着きました。空港の北側に山が迫っているためか、南側の海からアプローチしてえらく急旋回した直後に着陸。軍用空港と兼用なので、機内アナウンスで空港の撮影が禁じられていると告知されました。

SIMは事前に購入済みで、設定も成田で済ませてきたので、空港では特に対応が必要ありません。お金はいつものとおりATMでキャッシング。20万ウォンをキャッシングして、手数料が3600ウォン。合計20万3600ウォンを、帰った後の4月3日に繰り上げ返済したら、利息込みで約1万9600円でした。

釜山市内へ移動

韓国でも、移動には交通ICカードがある方が便利なので、空港のコンビニや売店で「T-money」カードを探したのだけど、見つかりません。コンビニにも売り切れの表示があるだけです。諦めて、現金でチケットを購入し、釜山-金海軽電鉄(モノレールのようなもの)に乗って釜山市内に向かいます。軽電鉄のチケットは、ICチップ入りトークン方式です。降りる駅でトークンが回収されます。

軽電鉄の車窓から、満開の桜が見えました。釜山でお花見ができるとは思ってもいなかった。

IMG_20190329_173059

大きな橋を渡ります。流石に大陸(といっても朝鮮半島ですが)を流れる川は大きい。

IMG_20190329_173132.jpg

渡った反対側の道路が渋滞しています。金曜日の夕方だったので、渋滞を避けるために軽電鉄にしたのです。この写真からは、市内行き方面はそれほど支障がないように見えます。

IMG_20190329_173216.jpg

7分ほどで終点の沙上(ササン)駅に着きました。ここで降りて地下鉄2号線に乗り換えです。

さっき見つからなかった「T-money」カードをこのあたりで購入しときたいところですが、ここで気の散りやすい私はおおっと!となる。

地下鉄ササン駅の改札に通じる地下道でめっちゃ上手い人がオケ付きで歌ってるじゃないですか。

動画を上手くこの記事に貼れなかったので、Twitterの投稿にリンク貼っておきます(音量注意)。

このときの動画は、インスタにも投稿したので、一応インスタのリンクも貼っておきます。ちょっと最後尻切れトンボになっておりますが。

てか、この人プロだよね??

私は長年ミューヲタだったので伊達に舞台は観ていないと思いますが、日本のミュージカル俳優でこれ以上歌える人はちょっと思いつきません。

何やら音楽フェスティバルのようなもののよーでした。

IMG_20190329_175005.jpg

さすが芸能の国。

ところで、地下道では「T-money」カードを売っている場所が見つからなかったので、スマホでコンビニを検索して地上へ。コンビニの店員のお姉さんが英語できるひとで助かった…。「T-money」カードがあるかどうか確認したら、棚から出してきてくれました。図柄によって値段に差があることも説明してくれます。

カードを選んで、チャージもお願いして精算を済ませ「ありがとう」と言ったら、お姉さんもニッコリ。お店の人が優しくてよかったー。

「T-money」カードも無事入手できたので、2号線で沙上(ササン)駅から西面(シミョン)駅まで乗りました。通勤時間帯であることもあって、比較的車内は混み合っています。西面(シミョン)駅に着いて、乗り換えのために改札口から出ようとしたのですが、なぜか自動改札で引っかかる。呼び出しのインターホンはあるのですが、近くに駅員さんが入ればその方がてっとり早いので、キョロキョロしたけど、やっぱり見当たりません。

まあ、さっきのお姉さんの感じからすると、観光客も多そうだし、インターホンで英語で話せば来てくれるだろうとインターホンを使おうとしてたら、通りがかりの親切な年かさの紳士が英語で「大丈夫ですか?」と話しかけてくださいました。インターホンで話すから大丈夫ですよ、と丁重にお礼を言っておきました。インターホン越しに英語で「駅の外に出られません」と話して、駅員さんに来てもらい、改札を通してもらいます。

ここ西面(シミョン)駅で、1号線に乗り換え、目的地のジャガルチ駅に向かいます。2号線に比べると少し空きましたが、空いているのが優先席だけだったので遠慮して立っていたところ、優先席に一人で座っていたおばあさんが私のことを小突いて、隣の席を指さします。空いているから座りなさい、という訳です。荷物もありましたので、ありがたく座らせてもらいました。見てると彼女は、他の人にも座るようにと言ってました(言われた男性は断ってましたが)。

車内を観察していると、中年以上の男性もぶすっとしていないで、連れか、たまたま乗り合わせた人なのか、分かりませんが、楽しそうに話をしています。これは興味深い。手を繋いだり肩を寄せ合って楽しそうにしている若いカップルもいるし。

私が事前に抱いていた「韓国」のイメージ(儒教の国、上下関係に厳しい…)とは随分様子が違うようです。なにより、男性が思ったほど威圧的な雰囲気ではありませんでした。もちろん、深く社会に関われば色々あるのでしょうけど。

てか、男性が無意味に攻撃的なのって、もしかして日本だけちゃうの。

食い倒れ初日

ジャガルチ市場近くのホテルに無事チェックインしたら、もう結構いい時間だったので、この近所を散策がてら、焼肉を食べることにしました。

街が大阪っぽい?

DSC_0234.JPG

気づかずにうっかり変なモードにしたまま撮ってしまったので、なぜかイラスト風の写真となっております。

美味しそうな屋台街もありましたが、素通りして焼肉街と呼ばれているところに行って焼肉を食べることにしました。炭火焼肉です。

DSC_0245.JPG

これがまあ、量が多かったのなんのって。

韓国の焼肉は、基本的にお店の人が焼いてくれますが、注文するとガンガン焼肉を焼き始め、焼いたのを適当に食べていると、お店のおばちゃんが焼ながら、「これで巻いて食べる」、「これ(キムチやニンニク一片とか)載せて食べる」、「一口で食べる」だの、めっちゃ指導されるわ、付け合わせの野菜やキムチをどんどん追加されるわで、ゆっくり食べている暇がありません。あと、多分注文していない肉も来てるな…。

お勘定したら随分キリのいい値段だったので、結構会計が大雑把?(これくらいの量だったら何万ウォンコースとか…。)当分、もう焼肉は写真すら見たくない気分です。

焼肉が修行とは知らなかった。

で、やめときゃいいのに別の店に移動してシメに밀면(ミルミョン)。

DSC_0253.JPG

これは朝鮮戦争のときの朝鮮半島北部からやってきた避難民が持ち込んだ北部風の料理で、本来、麺はジャガイモデンプンの麺であるところ、当時、物資が不足してジャガイモのデンプンがなかったのと、南部の人には固いジャガイモデンプンの麺を食べる習慣がなかったので、小麦粉の麺となってそのまま今日に至っております。

あ、ちなみにお茶だと思ってヤカンの液体を注いで飲んだらダシの味がしたので、変なのと思っていたら、ミルミョンには必ず牛スープが付くものなんだそうです。知らなんだ。

うーんうーん、お腹いっぱいで苦しい…。当然、屋台のおいしそうなキムパップやおでんに手を出す余裕もなく、食い倒れで記憶が薄れる中、釜山の初日が暮れていったのでした。

DSC_0255

つづく。