冬のベトナム・ハノイ+α その13(ホアロー収容所と旅の終わり)

今回の旅行日程(2018年12月27日から2019年1月4日まで)

12月27日(木) 日本→ハノイ泊

12月28日(金) ハノイ泊

12月29日(土) ハノイ泊

12月30日(日) ハノイ→ホアビン省マイチャウ泊

12月31日(月) ホアビン省マイチャウ→タインホア省プーロン自然保護区→ホアビン省マイチャウ→ハノイ泊

1月1日(火) ハノイ泊

1月2日(水) ハノイ泊

1月3日(木) ハノイ(ノイバイ国際空港近くのトランジットホテル泊) ↓ここから最後まで

1月4日(木) ハノイ→日本

 

1月3日の続きです。

ホアロー収容所跡(di tích Nhà tù Hỏa Lò/Hỏa Lò Prison Museum)

女性博物館の次は、徒歩でホアロー収容所跡へ向かいます。

ホアロー収容所がある場所は、元々、焼き物を作っていた村だったのですが、フランス統治下の1896年、村民は立ち退かされ、そこに監獄が建築されました。刑務所は、当時、ベトナム国内で激化していたフランスに対する独立運動や抗議活動を治めるためでした。

…といった建設当初からの歴史が、元刑務所を改装した博物館の展示によって説明されています。

ベトナムのこの手の歴史博物館や跡地には何度か行ったことがあったので、ベトナム人の気合いの入った施設を見せられるだろうことは覚悟して行きました。

薄暗い建物に入ると、やはり、当時の様子が蝋人形を使って再現されています。

下の写真にも写っていますが、ヨーロッパ系の方が沢山見学に訪れていました。特に、フランス人の姿が目に付きます。以前、コンダオ諸島にあるタイガーケージにも行ったことがありましたが、そこにもフランス人が来ていました。友人の配偶者がフランス育ちのフランス国籍人なのですが、彼と話してみると、フランスがかつて統治していたインドシナの歴史は自分達の歴史として捉えているようでした。当たり前ですが。だから、フランスの人にとって、ベトナムの監獄の歴史は自分達の歴史の一部なのでしょう。

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下の写真は足かせです。これで囚人たちが逃げないように足を固定していました。

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独房らしき部屋の扉に付いている、のぞき窓からのぞくと→

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ひ、ひえーーっ。びっくり。恨めしげにこちらを睨む蝋人形と目が合ってしまった…。

ホアロー収容所には、共産主義者やジャーナリスト、独立活動家などが収容され、過酷な扱いを受けつつも、囚人はこれに抗議し、

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時には穴を掘って脱獄し、

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抗議の意志表示のためにインターナショナルなどの抵抗歌を歌い、ジャーナリストや学者などの知的階級の人々が、そうでない人々に英語やフランス語や思想を教え、

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フランスに勇敢に立ち向かった様が展示されています。

収容所跡地の一角は、死刑囚を収容した監獄と処刑場が再現されていて、有名なギロチンが展示されていましたが、この一角は写真が撮れませんでした。怖くて。やっぱりベトナムの監獄の跡地は怖い。

しかし、そうは言っても展示を見て外に出ると、平和な時代になってから建立されたモニュメントもあって、ちょっとほっとした気分になります。

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ホアロー収容所は、まだ、きれいに観光地化されている感じです。同じ監獄でも、人気(ひとけ)のないコンダオ諸島のタイガーケージはマジで怖かった…(島に行く・その10(6日目 アンハイビーチと元監獄見学)~2018年4月・5月ベトナム)。私は霊感などありゃせんが、あそこはマジメにお化けが出ると思う。

空港近くへ移動、そして旅の終わり

翌日のベトナム航空の便が朝だったので、午後4時にそれまで泊まっていたハノイ旧市街のホテルに車を呼んでもらい、空港近くのトランジットホテルに向かいます。

一服してから、外の様子を見に出かけてみましたが、道以外は真っ暗で何もない…。道路沿いに幾つか飲食店があり、適当に入ってみたら、宴会料理しかメニューがない店。店員さんの片言の英語の説明では、鍋がおすすめみたいだったが、めちゃくちゃ量が多そうだったので、とりあえず、なんとか野菜炒めとローストチキンを頼んだら、ローストチキンが巨大すぎた。そして肝心のモモ肉が生焼け…。でもベトナムの鶏肉は美味しいといつも思う。そりゃ、ほぼ全員(?)地鶏の放し飼い状態だもんね。がんばって食べた(だいぶ残した)。

お勘定のとき、商売上手の女将さんが私の顔を撫で回して”Beautiful!”と言ったので、ベトナム語で「お綺麗ですね」と返礼しといた。場末っぽいですねー、ええ、確かにここは場末です。

てか、さっき、おすすめを説明するときも店員さんが肩に手を回して説明してきたのだけど、ベトナム人って結構、他人、特に同性同士だと、気軽に触る?のかな?

まあ江戸時代の日本人も従者がお嬢さんの手を引いて往来を歩いたりしてましたからね(もちろん主従関係だけで恋愛関係とかではない)。

部屋に戻ると、これまた変な部屋で、バブルバスに浴室が二重窓。なんだけど、二重窓の間にヘンテコな空間があって、中窓からその空間を覗くと、階下まで空間が繋がってた。何故こんな構造になったのか、かなり謎どした。

無駄にだだっ広い部屋には巨大なダブルベッド2つ、スペアのベッドを持ち込めば8人くらい泊まれそう。

1つのベッドの横にはクローゼットが設置されていたのだけど、ベッドのために完全に死んでて、クローゼットのドアが開放できない。少しだけ開けて中を覗くと、カビ臭いにおいがして、使われている気配が全くなかった…。

 

翌朝、午前6時にはホテルにノイバイ国際空港に送ってもらって、丸刈り・腕章のベトナム人実習生の集団と一緒に日本に無事、帰ってきました。

 

毎回、なんどかんだと色々あって、腹の立つこともあるけど、やっぱりベトナムはおいしくて面白い。

今回の旅行記を書いている最中、ある人にこのブログを「おもろい」と褒めて貰って、とても嬉しくてずっと考えていたのだけど、このブログを面白いと思って貰えるとしたら、やっぱり心底、自分が面白いと思ったことしか書いていないからかなー。自分が面白いと思うことが人も面白いと思うのかどうかとか、あまり考えてもいないし気にしてもいないけど。

では、また旅に出ることがあったら、旅行記を書こうと思います。