8月13日前半の続き。
黒龍譚を出て六路のバスに乗り、麗江古城の北に位置する束河古鎮に向かう。バス代は1元だった。
麗江古城での散策コースは、古鎮の北側から南に抜ける道のりを取った。
束河古鎮の入り口近くに、少数民族風に、色とりどりの紐を髪の毛に編み込んでくれるお店があった。麗江古城内にも同じような店が沢山あるが、人が沢山たかっていて写真が撮れなかった。古城内を散策していると、小さな女の子なんかも編み込みをやってもらっていて、可愛らしい。おとなの女のひとも、編み込みや、写真右上の花輪を被ったりなんかして、街を散策して楽しそうにしている。
やっぱり、ここも観光地観光地してるなーと思ったけど、無造作に台車に乗せた季節の野菜を量り売りしていて、麗江古城よりは生活感がある。
これは古鎮内の屋台で観光客向けに売る果物を運んでいるところだろうか。
束河古鎮内に入っていく。ずっと雨模様である。
土産物屋や客桟、食べ物屋が建ち並ぶ。私もヤクのミルクの飲むヨーグルトを飲んでみた。特に変な味はしなくて美味しいが、確かにヤギっぽい匂いはするかも。かなり観光地化されてはいるが、麗江古城よりは人も少なく落ち着いている。
途中、雰囲気が良さげな「茶馬古道博物館」があったので、入ってみることにする。
茶馬古道とは、7世紀頃から雲南省からチベット等まで、南西ルートで交易していたルートのことで、麗江もその経路上にある街の一つである。
美しい中国風庭園と、充実した展示物。
茶馬古道を図示したもの。
トンパ文字をあしらった茶馬古道の説明。中に入ると英語の説明もある。
何々、日本との戦争の間も、日本軍は海上を封鎖したが、茶馬古道では交易が続けられていた、とな。アジア各国の博物館では、日本って本当、こういう戦争絡みのところでしか名前が出てこない。しかも、安定の日本軍の兵站軽視っぷり、戦略のなさっぷりに嫌気がさす。自軍のも敵軍のも、兵站軽視しまくりで穴だらけ、って戦争をやる態度じゃないだろ。
さて、順路にしたがって博物館内を巡っていくけど、手入れされた庭園が美しい。
上の写真と同じ場所で、おじさんに写真を撮って欲しいって言われたので撮ってあげる。嬉しそうな表情でスマホをのぞき込むおじさん。「大丈夫?」って声を掛けたら、おじさんに「日本人ですか?」と聞かれたので、「日本人ですよ」と答えたら、「ようこそいらっしゃい(歓迎光臨)」と言ってくれた。こういうちょっとした交流が面白くて嬉しい。
ところで、暗いし上からカメラを構えないといけないし、で展示物があまり上手く撮れなかったのだけど、展示物にこういうナシ族(納西族)の革製品があった。
こういうのとか。
色合いも意匠も素敵なので、こういうののレプリカを売ってくれるといいのになーなどと思う。
すっかり満足して茶馬古道博物館を出る。
街の疎水が美しい。
これか観光用のお馬さん。出勤途中ってとこでしょうか。馬や馬車に乗って古鎮内を巡ることができるようだ。
ハチミツに、旬のキノコが売られている。ミツバチってネオニコチノイド系農薬を撒くと集団でいなくなってしまうので、私にとってはこの豊穣なハチミツは安全と豊かさの象徴なのである。つい惹かれてしまう。
松茸は中国人にも大人気みたいで、「24時間以内に配達します」(中国国内だろうけど)と書いてあった。
ポテトフライやソーセージに、未知の食べ物の屋台。
これは魚屋さん。雷魚とナマズかな?あとはニジマスもあった。当然だけど淡水魚ばかり。山の中ですからね。
比較的落ち着いていて気に入った束河古鎮だったが、宿に帰ると伝えた時間に大幅に遅れそうな時間になってしまったので、後ろ髪を引かれながら急いで戻ることにする。ほら、戻ってまた別の宿に移らないといけないから…。
疎水沿いにお洒落なカフェや屋台の果物屋さんなんかが並ぶ中を抜けて束河古鎮外に出て、バス乗り場までやってくる。
雨はやんで晴れてきたけど、やっぱり山は見えそうもない。うーん残念。
さてバスで麗江古城外に来たけど、丘陵を登って降りるアクセスなのでやっぱりぜえぜえして吐き気がしてきた。まだ空気の薄いのに慣れていない。
だんだん古城内っぽい風景になってきて、
大幅に時間に遅れて宿に到着~。
宿のスタッフが間違って同じ系列の別の宿に案内してしまっていたため(詳しい事情は前日の記事にて)、これから、宿に預かってもらっていた荷物を受け取って別の宿に移動することになっている。知的なメガネの長身のお兄さん(スタッフメンバーについてで説明したところの兄2)他、ほぼスタッフ総出でお出迎え、チェックアウトしてスタッフに荷物を持ってもらい、次の宿に案内してもらう。
古城内を北側に向かって移動する。移動しながら次の宿の責任者であるらしい兄2と雑談したけど,このひとは中国人には珍しく、本当にちゃんとした英語を話す人で、私のいい加減な英語が恥ずかしくなる。麗江古城は今は学校が夏休みなので人が多いハイシーズンなんですよとか、この辺りで日本語話せる人は殆どいないんですよ(そりゃそうですよね)とか。途中で赤い実を干している人がいたので、「あれはコショウなんですよね?」と尋ねると、コショウじゃなくて花椒なんだそうである。へーっ生の花椒なんて初めて見た、と驚く。写真撮っとけばよかった。
移動後の宿でチェックインを済ませると、ロビーでお茶を飲んでいきませんかと兄2がいう。ロビーには本格的な中国茶道のセットが置かれていて、そこで兄2の講釈を聞きながらお茶をご馳走になる。雲南省の普洱(プーアール)茶は高品質で有名な人気の高いお茶だけど、生茶(Shēng chá)と熟茶(Shú chá)があるのだが、生茶の方を淹れてもらった。
兄2の説明と、手際のいい優雅な手つきによれば、どうも、かなり本格的な中国茶道(正しくは「茶芸」というらしい)の作法に則ってお茶を淹れてくれているみたいだった。中国茶の場合、一煎目は捨ててしまうのだが、良いお茶であればあるほど、何煎淹れてもお茶が出るし、淹れていく内に味が変わっていくのを楽しむのだという。私も普洱茶の生茶を飲んだのは初めてだったが、普洱茶のイメージとは違って、緑茶系の味わいで爽やかで大変美味しいお茶だった。
ええ、お茶は大層美味しかったんですが、10煎位は淹れてもらったところで、さすがに私も「部屋に行っていいですか」と切り出した。この間、1時間くらいは経過していたと思う。この兄2の茶芸は、この宿でお茶の販売もしていることもあり、まあ営業みたいなものなのだが、それにしても気の長い話である。これまで、外国で英語ができるスタッフがいる宿に泊まったことはあっても、スタッフからこんなサービスは受けたことがない。中国人は気が長いと聞いていたが、さすがだと思った。
この間、昼食は一切取らなかったけど、不思議とお腹が空かなかった。
部屋は麗江古城にはよくある納西(ナシ)族式。
前の部屋はコンクリート打ちっ放しの現代的お洒落風な部屋だったので、調度品は立派だったけど落ち着かなかった。こっちの方が全然よい。諸事情で1泊だけだけど…。
荷ほどきをし、ずっと洗濯していなかったので汚れ物をちょっと手洗いし、宿に頼んで翌日朝の麗江駅までの車を手配してもらってから、昼も食べていないことだし、早めに明るい内に(といっても午後6時は過ぎていた筈だが)夕食に行く。兄2おすすめの近所の四川風料理の店にした。
とはいえ、納西風料理があったので注文してみた。しょっぱくないカリカリベーコンのような味で、右下の花山椒を付けて食べるのだけど美味しかった。
一旦部屋に戻って休んでから、夜の麗江古城をちょっと散歩してみたが、これがまあまた、どこから人が湧いてくるのかと思う人出で、早々に退散。この部屋は一本路地を入っているものの、麗江古城一番の目抜き通りの近くなのだった。
洗濯物の乾きを気にしながら、早めに就寝。翌日は移動日なので朝が早い。せわしない旅だ。
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