忘我/端緒 マレーシア 2019年4月・5月

1,

ここのところなんだかんだと仕事で忙しく、旅行の予定を入れていても、結局、旅に出る前日まで殆ど何の準備もしないで普段着のまま、旅に出るようなことをしている。

私は、ネット上では匿名だし、仕事のことや日常生活を細々とは書いてはいないが、その理由には、地位職業その他個人情報を明らかにするとやりにくい、どころか、身の危険すら感じる日本語ネット世界の性質であるとか、ネットのテキストベースだけで職業的な知見を求められるのが厄介であるとか、他にも色々あるけれども、親にいわゆる「身バレ」をしたくないというのが最大の理由である。

何を中学生みたいなことを言っているのか、と思われるかもしれないけど、事実だから仕方がない。

私が今、何が好きで、毎日どんな生活をしているのかも親には秘密だ。大体、私の親は、人が楽しんでいたり、成功したりするのが気に入らないようで必ずケチを付ける。こんな人々には誰よりもまず、自分のことを知られたくないと感じる。

そういう訳で、旅に出ることも勿論秘密なのだけど、生育過程で、楽しんでいるとさんざんケチを付けられてきた後遺症が残っていて、未だに、どうも楽しむことに対して後ろめたくなる気持ちを拭い去ることができない。

しかも、今回は、親族の行事をぶっちぎって出てきたので、後ろめたさMAXである。後ろめたくて気になるくらいなら、お義理でも参加した方がいいという考え方もあるし、以前はそうやってきたのだけど、行事のお知らせをもらったのは予定を入れてしまっていた後だし、お知らせには、相変わらず全く楽しくなさそうな家族の様子が書かれているし、みんなに会って貼り付いたような笑顔でこれまで何の問題もない家族であったかのように振る舞い、笑顔で話し合いうなずき合うのだと考えただけで、肌の上を虫が這いずり回っているようなゾッとした気分になるし、過去の自分に対する裏切りであるからそういうことはしない。

そのくせ、遠くに旅立つということになると、外国で「親が死にそうだ」っていう便りを受け取ったらどうしようなどと考えてしまう。基本的に気が小さいのだ。

受け取ったってすぐには帰れないのだからどうしようもないし、日本国内にいたってすぐには行けないかもしれないし、大体、人生短いのだからもう人にどう思われたっていい。そんな考えとの間を逡巡する。

2,

そんなこんなで、頭を悩ませているやりかけの仕事のことなど含めて、あれこれ抱えたまま、飛行機に乗り、仕事のことは休み中は動かないから仕方がないと切り替えたものの、乗り換えの香港あたりではまだ後ろめたさを抱えていたことを覚えている。

乗り換えの飛行機は2時間半遅れた。

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もうすっかり夕方である。これからまだ4時間の旅が残っている。

3,

結局、飛行機の中でも30分以上待たされた。後ろの座席で日本人の中高年夫婦が飛行機の遅れについてぶつくさ文句を言っている。

目的地に着き、シートベルト着用サインが消えて手荷物入れから荷物を出し、通路に出ようと待機していたが、人の行列が動き出したと思ったら後部座席の夫婦の妻の方が通路に出ようとした私に後ろから激突した。行列が動き出したことで、私の前にちょっとだけ空いた隙間に入り込みたかったらしい。

結局、飛行機は3時間遅れだった。新しい国に入るときには沢山のやることがあって、それなりに時間がかかるものだから、折角乗り換え用の近場のホテルを取ったのに、就寝したのは午前1時。翌日はまた別の飛行機に乗って移動するから、3時間しか眠れない。こうなってくると、人間という生命体にとっては、当然のことながら頭の中の細々悩みよりも、肉体の疲れ、生命の危機の方が優先されるのは当然だった。

4,

翌朝は午前5時に出て、チケットでなぜか出発時間の1時間前に指定されている”Boarding time”前には搭乗口に到着したのだけど、来ていたのは日本人と中国人だけだった。のんびりしているマレー人向けに、早めの時間を指定しているのだろう。

今度は時間通り出発。

朝日が差し込んで神秘的な風景。これまでに一度も見たことのない景色。

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約1時間で、時間通りに目的地の最寄りの地方空港に到着。ここまでは自力だが、あとは他の人と一緒に連れて行ってもらうだけ。

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この扉の先は未知なる世界だ。

5,

空港からバス→水上ボート→バンと乗り継いで、2時間くらいかけて目的地に着いた。

どうも、ここは多少の観光産業こそあるものの、バーすらない敬虔なイスラム教徒の住む小さな島なので、ビーチはあるものの、システマティックな西洋風のホテルの中でずっと過ごすしかなさそう。ちょっと予約した日程が多すぎたかななどとこのときは後悔していた。

1日目は、前の晩3時間しか寝ていないので疲れ果て、でも夕方ちょっとだけ村に出て、村の人たちの生活を見て安心し、

2日目は、前日、ホテルのすぐ傍で門前商売をやっている食堂のご主人に営業され、ボートを予約して4時間ほどスノーケルし、魚たちの群れやウミガメと一緒に泳ぎ、

それからは、ホテル前のビーチの脇の岩礁を、スノーケルセットを付けて泳ぎ、疲れたら昼寝して、また気が向いたら泳ぐ、という1日を送っていた。

・・・・

た、楽しい…。

餌付けされているのだろう、(餌付けの是非は別にして)まずは人に寄ってくる縞模様の小魚たち。

剣呑な巨大モンガラハギも、なぜかおこぼれに預かろうとしてやってきている。

岩礁に付着する、表面が緑色に光る、生きた枝サンゴの群生。

立派なテーブルサンゴに、丸いサンゴ。白くて丸いサンゴの窪みは、青・赤・黄色と、色とりどりのイソギンチャクで彩られている。

シャコ貝は、グレーにネオンブルーのフリルで縁取られ、シャコ貝が呼吸する度に微妙に揺らぐ。

沖縄では「イラブチャー」と呼んでいる、鮮やかな碧色の大きな魚の群れ。おいしそう(違)。

泳いでいる人間の後ろに付いて一緒に泳ぎにくる、青やら黄色やらのベラ科の小魚たち。

ふと目の前を、岩礁の小型のサメがスイと通り過ぎる。

岩礁伝いに小さな岬を回って、隣の浜に行ってみる(岩で指を切った)。

 

上から眺めると。雷雨一過、鮮やかな空、鮮やかな海の青色。宝石のようである。

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鮮やかな葉っぱの緑。

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熱帯の夜明け。

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自然がとにかく美しすぎる。

もう一度言ってもよかですか??

楽しーーーい!楽しいぞ。

岩で指を切って血を出したのすら、生きてるって感じ(痛いけど)。こんな感覚は何年ぶりだろう。

旅に出る前に抱えていた色々なもの(1,にもどる)は、この頃には、知らないうちにどっか行っちゃいました。

普段は、頭とか、キーボードを叩くので手首とかに過剰な負担をかける生活をしていて、同業者が手首に包帯を巻いているのなどを眺めて、痛々しい気分と共に同志よ、って気分もあるのだけど、とにかく、そんな生活からくる不調もどこかに行っちゃった。

西洋人は、ビーチに来ても、ただ水着で海風に吹かれて寝そべっている人が多くてちょっと不思議に思っていたけど、もしかして、それは海風とか強烈な太陽光線とかの中に、何か悪いものの排出作用のようなものがあって、それを潜在意識下で知っている、ということなのではなかろーか。

或いは、人類はやっぱりコンクリートに囲まれて頭と手首だけ使っている生活を送っていた時間より、自然に囲まれて身体全体を使う生活を送ってきた時間の方が長いのだから、自然に囲まれて五感を使って身体を動かすことに集中するのが大事なのだろうか。

このときは、旅先だから楽しいんだろうなと思っていたけど、帰ってきてしばらく経った今でも、幾分かはその効果が残っているようなので、また行かないとなーと、この世俗から隔離されたような島で撮った写真を夢見心地で眺めながら、考えているところです。