[書評]運命 文在寅自伝

運命 文在寅自伝(日本語版) 文在寅(ムン・ジェイン)=著 矢野百合子=訳 岩波書店

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最近読んで、最も感銘を受けた本のひとつ。言わずと知れた韓国の第19代大統領文在寅の自伝。感想を書き留めておきたい。

 

本書の冒頭は、悲劇的な盧武鉉元大統領の死から幕が開ける。不謹慎だが、まるで映画かドラマのワンシーンのように劇的で印象的である。

本書を「自伝」という頭で読むと、少し戸惑うかも知れない。盧武鉉大統領とその政権である参与政府の記載だけで、本書の半分とはいわないが、それに近い割合を占めているからである。それもそのはず、本書は2012年12月の大統領選に向けて、文在寅のいわば「出馬宣言」として刊行されたものであり、本書の序文にもあるように、参与政府が「他山の石」となれるよう、参与政府時代の歴史的な証言を残す目的で書かれたものでもある。

それでも、盧武鉉元大統領との出会いから、朝鮮戦争の避難民として興南から朝鮮南部の巨済島に逃げてきた両親のこと。貧しかった幼年時代、成績優秀で慶南中学校に合格して本を読みふけった中学時代、社会意識を育て学生運動に明け暮れた大学時代(奥様とのなれ初めの微笑ましいエピソードもある)。徴兵に強制徴集され、そこでも成績優秀で、配属先の厳しいはずの空挺部隊でもなぜか妙になじんだ軍隊時代。そして、除隊後、人権弁護士の道へ。

読み進めていくと、文在寅大統領がどういう人生を歩んできて、どのような考えを持つ人物なのかが徐々にわかっていく。

小学校時代、家が貧しくて家から弁当を持って行けなかったこと。学校では弁当を持って行けない子供のために給食が出たが、給食で出されるトウモロコシのお粥を食べる器すらなかったので、他の子供から弁当箱の蓋を借りてお粥を食べなければならず、弁当箱の蓋を借りるたびに自尊心が傷ついたこと。(そんな経験もあってか、「最近の無償給食論争の行方には関心をもって見守っている。」とのこと)。

大学時代、言論人出身の李泳禧(リ・ヨンヒ)先生の論文に影響を受け、「知識人の秋霜のごとき厳しさを知り、自分もそうありたいと思った」こと。それは、「真実を最後まで追究し、誰にも否定できない根拠を示して社会に立ち向かうことだった。首に刀をあてられても真実を世に明らかにして、真実を抑圧する欺瞞を暴くことだった。」とも記されている。

弁護士になる前の検事の試補はよい経験であったが、検事は自分の性格には合わないと感じるようになったこと。人を処罰することはつねに負担で、心が落ち着かなかったこと。犯罪行為自体は処罰して然るべきものであっても、いざ事情を調べると気の毒な事情が見えてきてしまうからなのだそうだ。

本人の口から語られるこれらのエピソードは、文在寅大統領が、貧しい人のために役に立ちたいと願い、真実には忠実であろうとし、国家権力の恐ろしさを熟知していてその行使をすることに謙虚さを持つ人物である、ということを示している。

だから、参与政府時代のことも、序文で「駄目だったことは駄目だったと評価され、克服されていけばいい。」と書かれているとおり、何故そのような政策が取られ、何が政策実現の支障だったのか、何がどこまでできて何ができなかったのか、淡々と事実が述べられ、ごくわずかに感想が述べられるという、いかにも弁護士らしい表現で描写されていて、何のてらいも手柄の誇示もない。

これを建前やきれいごとに過ぎると感じる人もいるだろう。しかし、政治が、民衆に理想やきれいごとを語らなくてはどうするのか。語られる理念以上によい社会になることは絶対にない。

そして、さすがに本人も認める読書好きだけあって、文章から溢れんばかりの教養と知性を感じ取ることができる。

本書からは、お隣の国・韓国の大統領の人物や知性、その目指すところを理解し、このような大統領を選ぶ韓国の国民が何を望んでいるのか理解するのに格好の書である。しかも、盧武鉉大統領の参与政府時代について詳細に述べられているので、韓国の現代史に対する理解の一助ともなる本である。

本書の「運命」は、盧武鉉元大統領の遺書から取られたそうだが、本書を読むと、政治家になる気すらなかった文在寅大統領が、不思議な「運命」に引かれて、今、大統領になったように思えて仕方ない。

本書末尾のクォン・ヨンソクさんによる「解説」も、本書の背景事情が分かりやすく書かれているので、そちらも必読である。

 

(2019年7月2日追記)

この記事を公開して今日で1ヶ月ですが、ご承知のとおり、なんと先の6月30日には歴史的な板門店での金正恩・トランプ会談が実現しました。噂にはなっていたものの、実現を目の当たりにしたときには驚きました。

この仲介にはさぞ骨を折ったであろう文在寅大統領、タフ・ネゴシエーターっぷりを見せつけましたね。流石「盧武鉉の影」として盧武鉉大統領時代に青瓦台で豪腕を振るっただけあります。

朝鮮半島の問題もこれで一歩前進したという訳ですが、微力ながら一刻も早い朝鮮半島の平和的な南北統一をお祈りしております。

韓国に行ってきた その5・2019年3月釜山旅行(テジクッパを食べ損ねて帰った話)

今回は2泊3日の週末旅行なので、3日目・3月31日が最終日です。

ホテルのチェックアウトは11:00なので、荷物を置いて、朝食を外で取ることにします。

事前に釜山に行ったら食べてみたいな、と考えていたものの中で、まだ食べていなかったのがテジクッパ。

 

テジクッパは、要は「豚肉の豚骨スープかけご飯」で、釜山の位置している慶尚道の名物料理です。2013年に韓国で大ヒットした映画「弁護人(ピョノイン)」で一躍、韓国全土から注目される料理になりました。

初めの方は軽快な雰囲気で進んでいく映画、後半に差し掛かり、弁護士である主人公が苦学しているときにご飯を食べさせて貰ったテジクッパの食堂の息子が官憲にしょっぴかれ、恩のある食堂の女主人から助けを求められる…という辺りから、ぐっと社会派的色合いが強くなっていきます。

映画では要所要所で主人公がテジクッパを食べる場面が出てくるので、映画「弁護人」においてテジクッパの占める割合は、主演のソン・ガンホと同じくらい大きい、と書いてある評も見かけました(笑)。ちなみに、実は、ソン・ガンホさんはテジクッパは苦手、っていうオチまでついています。

「弁護人」の主人公は盧武鉉元大統領の弁護士時代がモデルで、1981年9月に起きた釜林(プリム)事件が題材になっています。釜林(プリム)事件は全斗煥政権時代、民主化運動を抑圧するために、官憲が読書会に参加していた善良な教師や学生などを無令状で逮捕して監禁し、拷問によって嘘の自白をさせて罪に陥れたという事件です。盧武鉉元大統領が、その後、民主化活動に入って行くきっかけになった事件でもあります。

この映画、熾烈な拷問の場面も遠慮なくこれでもかと再現されていて思わず目を覆いたくなりますが、もっと怖いのが拷問している末端の公安刑事も、別にことさら民衆を苦しめてやろうと思ってやっている訳ではなくて、それが真に共産主義革命やコミュニストから国を守る正しい行為だと信じ切っていて、その使命感から行っていることがよく理解できてしまうことなんですよねー。これは、映画「タクシードライバー」を視たときにも感じましたね。弾圧する側の心理がよく描かれていると思います。人は、ちょっとしたことで、権力の手先となって民衆を弾圧するほうに回ってしまう。

それでも、韓国の社会派映画では、ひどい目や理不尽な目に遭っても、仲間が助けに駆けつけてくれる場面が必ず描写されていて、それが救いでもあるんですけどね。

 

ちゅうことで、朝ごはんはテジクッパ食べたいなということで、Webで見かけた写真1枚だけを頼りに、忠武洞市場にあるらしきテジクッパ店を目指します。うっ、今日は風が強い…。

しかーし。店は見つかったものの、どうやらお休み…。日曜日だからでしょうか。ソミョンにあるテジクッパ通りに行けばよかった…(地下鉄に乗るのがめんどかった)。

しかたないので、忠武洞市場を散策しつつ、国際市場近くにある別の店を目指します。

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忠武洞市場は、観光客向けのチャガルチ市場とは違い、ぐっと地元民向けの市場になっています。

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八百屋では黒いビニール袋に入った大量の豆もやしが。さすがー韓国。大根も日本の大根と品種が違い、幅が太い、ずんぐりとした大根だったりする。

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海藻や小魚、貝を売っている商店です。

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日曜だから休みの店が多いですね。

国際市場の近くまで行ったのですが、ここでも目指すテジクッパの店は見つからず。やむを得ず、普通のスンドゥブチゲの店に入ります。

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やっぱりこういう普通の料理も、韓国に行って食べるとおいしい。

ちなみに、この日まで殆ど見かけなかった日本の人、この店には沢山いました。キムチの味が濃いめで、日本人好みだからでしょうか。釜山で食べたキムチは、日本で食べるものより酸味を感じて、あっさりしたものが多かったです。

朝食後、チャガルチ市場の方に戻ります。日曜日なので観光客が多いですね。

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韓国の方はやっぱりホヤが好きなんですね。

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ホテルに帰って、荷造りしてチェックアウト。帰りの空港行きはシャトルバスにしたのですが、T-Moneyカードが使えなかった…。なので、まだ10000ウォン以上チャージが残ってしまいました。シャトルバスで運転手さんがかけていた音楽、徹頭徹尾、韓国演歌だった…。

空港に着いてチェックインを済ませると、丁度昼時だったので、空港のレストランで食事をすることにします。レストランをチェックしたのですが、釜山の郷土料理を出す店はなさそうでした。テジクッパ、結局食べ損ねた…。相変わらず計画性のない私です。

代わりにビビンバ。

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これもおいしゅうございました。

隣のマダムのグループもビビンバ頼んでいたのだけど、ビビンバが来ると全員がすごい勢いでビビンバをかき混ぜ始めて、「おおっ。これが噂の~」と思いました。韓国の人は、ビビンバがちゃんと混ざっていないと気持ち悪いんだとか。マダム達の混ぜ方、空気を混ぜ込むような、まるで、ホイップクリームを泡立てるような混ぜ方でしたね。韓国のお米は日本のお米よりパラパラした感じなので、具と合わせて混ぜるのに適しています。

 

ところで、空港のLGの宣伝用ディスプレイ。

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韓国では、モニターもTV(ホテルのTV、部屋の狭さにそぐわない巨大な壁掛け式…)も、LGが主流です。モニターがあまりにも美しかったので、帰ってから思わず、オフィスのPCのモニターを新調してしまった。これまでの2倍の広さなので、書類のデータを3つくらい横に並べられる。早いし。わはは。

以上でした~。

韓国に行ってきた その4・2019年3月釜山旅行(避難民の群像達)

「平和の少女像」を訪問後、近かったので、四十階段に行ってみることにしました。

道すがら、散策用に整備された小道には、色々な銅像が置かれています。

例えばこれ。

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避難民の姉妹の像です。避難民たちが移り住んだ場所は、水道の整備もなかったのでこうやって水を汲んで高台まで持ち上げたのです。重労働です。この像も、映画「国際市場で逢いましょう」に登場します。

他に、鉄道に乗る家族の像もあったのですが割愛。

次が四十階段。

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朝鮮半島北部からの避難民が離ればなれになった家族・知人と待ち合わせに使ったり、救援物資をもらったりしていた場所で、避難民の悲哀を今に残す場所です。ただ、当時の四十階段は、ここから数十メートル北にあったそうです。映画の撮影などで有名になり、アコーディオンを弾く人の像が設置され、今も観光客の記念撮影ポイントになっています。

四十階段の前には、ポン菓子を焼く人と子供達の像。

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少しくたびれたので、カフェで休憩後、また散歩を続けます。

屋台が建ち並ぶBIFF広場は素通りし、商店街をくぐり抜け、

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向かったのは、

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国際市場の「コップニネ(コップンの店)」。映画「国際市場で逢いましょう」の舞台になった店です。もはや観光地です。映画のポスターが飾ってありますね。この角度より、店の左側から撮影した方がよかったみたいですが。

「国際市場で逢いましょう」の主人公、老人ドクスは、家族や周囲の人たちに呆れられても、頑強に店を売ろうとしません。それには○○な訳があったのです……

って、ここは、映画の物語の肝要な部分ですので、書いちゃうとネタバレになってしまいます。詳しくは映画をご覧下さい。

こうやって見ていくと、韓国の方って、銅像で何かの記念を残すことが好きみたいです。

ちなみに、写真は撮らなかったのですが、甘川洞文化村を降りたところの公園に、

「ただ、猫に餌をやっているおばさんと、それに寄ってくる大量の猫たちというだけの像」

がありました(こちらは由緒正しき銅像じゃなくて、カラフルにペンキが塗られていましたけどね)。ちょっと意味が分かりません。おもしろいからいいけど。

これだけ「○○の像」みたいなものがあると、日本領事館傍の「平和の少女像」も、そこにあることに、特に変な気もしません。つらい目に遭った方のことは、ずっと忘れるべきではないですしね。「平和の少女」訪問記事でも書いたけど、もうずーーーーっとあの場所にあるといいと思うよ。

 

さて、国際市場から、飲食店街アーケードで賑わう富平カントン市場を抜け、路上の屋台街を横目にホテルに戻ります。おいしそうなものが沢山目に付きますが、釜山に着いてからというものの、毎食毎食ボリュームがありすぎて、もうどうやっても夕食まで何か食べようという気になりません。次来たら「屋台食べ歩きレポ」とか、やってみたい。

 

少し休憩した後、買物のためにロッテマート光復店に向かいます。

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右側がチャガルチ市場棟なので、漁船群が係留されております。

ロッテマートに近づいてくると、大きな橋があります。これがヨンドタリ(影島大橋)です。

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橋の向こうがヨンド(影島)で、文在寅大統領が育った場所です。ヨンドにも古い風情ある街が残されており、観光地として整備して、映画やドラマの撮影に使われているそうです。韓国映画「弁護人(ピョノイン)」の撮影場所にもなっております。今回はヨンドに行く時間がなかった。

さて、ヨンドタリ(影島大橋)ですが、実は、これは跳ね橋です。ヨンドタリでは、1966年を最後に跳ね橋が上がることはなかったそうですが、2013年に再建され、現在では1日に1回、跳ね橋が持ち上がるところを目にすることができるそうです。

ヨンドタリの近くにも銅像が。

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避難民の家族の像です。

ヨンドタリも、朝鮮戦争のとき、肉親とはぐれたときのために待ち合わせ場所として使った人が多かったとのことで、やはり避難民を象徴するような場所なのでしょう。

また、避難民の暮らしは貧しく、苦しかったので、苦しさに耐えかねてヨンドタリから身投げする人も多かったそうです。そういう苦しかった生活を忘れないよ、という記念の像。文在寅大統領の自伝にも、子供時代は貧しくて、家から小学校にお弁当も持って行けなかったという記述があります。想像を絶する大変さだったことかと思います。

こうやって、釜山の街は、そこかしこに避難民の姿が垣間見えるのでした。

(注)この記事を書くにあたり、釜山の歴史については、主に、鄭 銀淑(チョン・ウンスク)著・港町ほろ酔い散歩 釜山の人情食堂(双葉文庫)の助けを借りています。綿密な取材がされており、沢山の写真(おいしそうな食べ物の写真も多数)ありで、釜山旅行を考えている人にはおすすめの本です。

 

(おまけ・3月20日の夕食)

夕食は、遠出して1時間ほど地下鉄に乗り、ヘウンデ(海雲台)で、フグを食べてきました。なんでも、釜山と下関はフグの漁場が共通していて、釜山のフグはお値打ちでお勧めなんだとか。

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確かに、日本で食べるより安くておいしかったです。ただし、インスタ映えはしません。西洋人の方や、濃い味付けの好きな若者は、よく、「フグは何の味もしないんですけど…」って言うように思う。