麗江古城から黒龍譚(8月13日・前半)~2018年8月マカオ・香港・雲南省旅行 その7

今回の旅行の日程

8月8日(水) 羽田発-香港国際空港経由でマカオへ マカオ泊

8月9日(木) マカオ泊

8月10日(金) マカオからフェリーで香港へ 香港泊

8月11日(土) 香港から中国・雲南省昆明へ 昆明泊

8月12日(日) 昆明から空路で麗江へ 麗江泊

8月13日(月) 麗江泊←今ここ!

8月14日(火) 麗江から大理経由で昆明へ 昆明泊

8月15日(水) 昆明泊

8月16日(木) 昆明泊

8月17日(金) 昆明から香港へ 香港泊

8月18日(土) 香港国際空港から空路で羽田帰着

 

13日の朝、朝食を取るために食堂に降りていくと、用意ができていない。朝食担当は近所のパートと思しきおばちゃんで、中国語しかできない。片言の中国語とスマホ翻訳でやり取りし、予約した時間がおばちゃんの把握していた時間と2時間遅くずれているのが判明。昨日の晩、宿の人がスマホアプリ(英語翻訳あり)に時間と希望のメニューを入力していたのになんでや。朝から安定の中国世界である。最早、大して驚かない。

そのうち、予約を取った当人がやってきて、事情をおばちゃんを挟んで説明すると、ちょっと部屋で待っててねとのこと。10分も待たない内に呼ばれると、食事の準備ができていた。このように、多少のエラーは無問題である。飛行機と違い、置いていかれる訳じゃないし。

ところで、この予約を間違えた(?)人は、最初にチェックインをしたときにオレンジ茶を入れてくれたお兄さんとも、「ホテルを移って欲しい」と頼みに来たメガネのお兄さんとも別人。長身のメガネのお兄さんよりもさらにデカくて屈強そうな、気の良さそうな兄さんである。顔はやや浅黒く濃い。英語は殆どできないし日本語は勿論できないけど、こちらが日本人なのでおどけて片言の日本語を使ってみせたりする。

後で分かったんだけど、この麗江古城の2軒のホテル(というより規模的には民宿)のスタッフは、

姉1最初チェックインのとき見かけたお姉さん。その後全然見なかった。兄1の言ってた「姉妹がお茶の畑を買った」というのはこの人のことか?

兄11日目のチェックイン時にオレンジ茶を入れてくれたお兄さん。見かけは年齢よりも少年ぽくて、活発でやんちゃな雰囲気の人である。英語を話す。多分、この人が最初に泊まったホテル(ホテル1)の責任者。

兄2「ホテルを移って欲しい」と頼みに来た長身のメガネの知的な雰囲気のお兄さん。一番英語が上手い。この人が移った先のホテル(ホテル2)の責任者っぽい。

兄3朝食の注文を取りに来た件のお兄さん。容姿はさっき言ったとおり、でっかくて屈強そうで気の良さそうな雰囲気の人で、顔は濃いめで浅黒い。4歳くらいの可愛らしい女の子のお父さんらしい。英語は殆ど出来ない。

兄4ホテル2のチェックアウトと、車の待ち合わせ場所までの案内を担当してくれたお兄さん。寡黙であまり喋らないのだけど、多分あんまり英語は出来ない。容姿は兄2や兄3ほど身長はないが、やっぱり顔が濃くて浅黒い。

以上がスタッフメンバーで、一応の担当ホテルは大体決まっているようなのだけど、2軒の宿を必要に応じて行き来して仕事をこなしているっぽい。全員、きょうだい親戚か友人関係っぽくて、しかも、宿の近所に住んでいるか、それか宿に住み込みかという雰囲気だった。兄3のお嬢さんも、遅い時間にホテル2でスタッフメンバーに遊んで貰っているのを見かけた。

こうやって書いてみて気がついたが、英語が話せるスタップ・メンバーはいわゆる華人ぽい外見の人で、顔が濃いめの2人は英語があまり話せなかった。留学などで英語学習を本格的にできる、お金持ちの漢族がホテルを買って、英語OKの宿として集客しているのだろうか…?英語出来ない二人は地元の少数民族出身…?本当はホテル2に3泊する筈だったのに、飛行機の遅延やら宿の手違いやらで中国に入ってから毎日宿を移動する羽目になったので、詳しい人間関係を把握する時間や機会がなかった。

朝食は、中華風のものに少し飽きたので西洋風にしてみた。こんな感じ。

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ま、ごく普通である。大きな皿の上部に写っているのは、ちょっと中身の色が変わっているジャガイモである。これに黄色くてとがった形の蒸しパンが付いた。あと、コーヒーと食パンは自由に取っていい。英語対応OKの宿なので、食堂には西洋人男性と中国人女性と思われるカップルと、女性の母親らしき中国人の先客がいた。

食事をしていたら、後から中国人の家族がやって来た。その中に、ブレザー・短パン・蝶ネクタイでおめかしさせて貰っている中国人の小学生くらいの男の子がいた。私もパンをトースターで焼いていたのだけど、パンを取りに行ったら焼いていた筈のパンがない。気がつくと、その男の子が「焼いた食パンだけ」を何枚もムシャムシャ食べていたのだった。しかも、お皿もなしで、足を机に掛けてだらっとした姿勢で、パンにジャムかなんかを塗りつけながら食べている。両親も特に男の子を注意するような素振りはなく、自由にさせている。

中国国内に入ってから、こういう自由な中国人の振る舞いは本当に羨ましくて仕方なかった。何故なら私がこれくらいの年頃の子供だった頃、こんな振る舞いをしようものなら、親から人非人のように罵られたに決まっているからだ。まず、「食パンしか食べない」っていうことが非難の対象であり、お皿もなしに足を机に掛けてごはんを食べる、なんていうお行儀の悪いことは論外で、超絶非難の対象なのであった。

さて、朝食を取ったので出かける。

途中、古城内の三眼井を通り過ぎる。「三眼井用水公約」として、「上池飲用水 中池洗果 下池洗衣服」と、傍らの石碑に刻んである。

確かに、水が湧き出している上池の水は澄んでいる。

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下池には金魚。

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しばらくすると、近所の店舗の人がマットを持ってやって来て、下池でマットを洗濯していた。こうやって、三眼井は今でも生活用水として使われているのだった。

古城内を通り過ぎる。雨模様である。

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古城の中心部を抜けて疎水に沿って歩くと、だんだん人がまばらになってくる。

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昨日中に入るのを断念した、古城の北の外れの黒龍譚に着いた。

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本来なら、次の写真の正面奥方向に玉龍雪山が見える筈なのだけど、ご覧の通り天気が悪くて何も見えない。残念。

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この奥にも広大な公園があるのだけど、だんだん天気が悪くなってきて、雨が本格的に降り出したので、公園を抜けてバス通りにあるバス停に向かうことにする。

公園を抜けると、団体観光客向けと思われる旅館や、食堂が沢山あった。古城内には何十人単位の観光客を収容できる旅館を建設するのは無理だから、こういった外れに作るのだろう。

これは、食堂のバックヤード。午前中だったので、シーズンで名物のキノコ料理のための仕込み(キノコの下ごしらえ)を、従業員総出でやっているところ。

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ここも通り過ぎ、バス停に向かう。麗江古城の北にある束河古鎮という、これも古い由緒のある街に向かうためである。

が。束河古鎮は滞在時間が短かくなってしまった割に、見所が沢山あって、写真も沢山あるので、束河古鎮とこの日後半の出来事は、次の記事に譲る。この日、まだまだ色々あるねんでー。